2022年12月24日土曜日

斉藤志歩「水と茶を選べて水の漱石忌」(『水と茶』)・・・

           


 斉藤志歩第一句集『水と茶』(左右社)、企画協力に佐藤文香。2014年から2022年までの256句が収められている。解説は岸本尚毅、その中に、


 俳句を作るとき、あるいは読むとき、どんなところに拘るのか。この句集にこんな句があります。

   手の甲にカーテン支ふ冬の月

(中略)日常の事柄をさりげなく詠った作品です。作者の感じたことがそのまま伝わります。この作品がもたらす作用は、「伝達」というより、「再生」に近いかもしれません。作者が拘って選んだ言葉が読者の想像力に働きかけ、作者の体験が読者の頭の中で「再生」されるのです。(中略)

   まだ黒くなる芋虫の骸かな

 生きものの死にざまをリアルに詠んだこの作品にも、作者の好奇心に満ちた眼ざしが感じられます。(中略)

 この句集を読んで感じられるのは、とにかく、作者が楽しそうであり、俳句を通じて人生を面白そうに眺めている、ということです。われわれ読者もまた、この作者が遭遇する俳句現象を、面白がって眺めようではありませんか。


 とあった。ただ、愚生に不満があるとすれば、現代仮名遣いの方が、斎藤志歩の作品は、より活きるように思われたことであった。「俳句は現代詩である」とは堀田季何の言葉だが、こうした、若い人の作品を読むと、やはり、俳句の言葉もまた、時代を負っていると思うのだ。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中よりいくつかの句を挙げておこう。


  バーの名の光れる路を提げゆく

  けふは肉あすは魚に年忘

  山眠るゆふぐれの鳥ふところに

  冬雲や焼肉を締めくくるガム

  東風吹くや鞄を出づる犬のかほ

  つくし野のつくしのまばらなるところ

  散る花に風の行く手のつまびらか

  秋風やきりんの首のよく見ゆる

  長き夜やひとり暮らしのトイレに鍵

  霜月や呼べばすぐ来る待合せ

  冬林檎歌へばちがふ声になる

  

 斉藤志歩(さいとう・しほ) 1992年生まれ。


★閑話休題・・斉藤志歩「木の実落つ今は手元にこの栞」(「むじな 2022」通巻6号より)・・


 斉藤志歩つながりで、「むじな 2022」通巻6号(むじな発行所)、特集は「斉藤志歩句集『水と茶』」。執筆陣は西村麒麟「薔薇」、千倉由穂「暮らすことの朗らかさ」、暮田真名「(酒量と同量の)水と茶」、榊原絋「私は斉藤。俳句をやっています」。一句鑑賞は板倉ケンタ・今泉礼奈・松本てふこ・西村結子・田口鬱金・浅川芳直。以下に、一人一句を挙げておこう。


  集落に人影蜘蛛の狩しづか        浅川芳直

  飛びのいている人がいる亀の鳴く     有川周志

  言霊のまず枯れそうな春の風邪     一関なつみ

  副賞の一本は温泉でありぬべし   うにがわえりも

  夏椿を記憶の蓋にして閉じる      及川真梨子

  段ボール箱に匿ひ竈馬          工藤 吹

  わづらひて八月の果つ九月また      斉藤志歩

  つま先の先つぽにつぼ春を待つ      漣波瑠斗

  曰く付きの橋夕焼沈む橋         佐藤 幸

  初めてのキャッチャー役や水温む     島貫 悟

  風船を母星に帰らせてあげる      菅原はなめ 

  良宵や隣家の「♪オ風呂ガ沸キマシタ」 鈴木あすみ 

  等比数列第n項に蜂           鈴木萌晏

  子鯨のうねりゆっくり胎動く       須藤 結

  梅酒瓶抱へし胸に実の泳ぐ        田口鬱金

  春風や骨美しきアーケード        武 元気

  卒業す『To LOVEる』全巻返却し    谷村行海

  島国に一島ほどの夏の雲         千倉由穂

  春風やメンバーカラーの緑着る      千田洋平

  みつ豆の今嚙んだのは豆のとこ      西野結子

  あざあざと傘差す音の祭かな       弓木あき

  シニヨンが電車の窓に触れて霧      吉沢美香

  地下通路浴衣にマスクきゃらきゃらと   米 七丸

  藪漕ぎの腕に刺さりし夏薊        若井未緒 



         撮影・鈴木純一「落葉ふむ

                 誰も死なない映画だった

                 ね」          ↑

2022年12月23日金曜日

小池正博「壊滅の序曲をかけて除幕式」(『海亀のテント』)・・



 小池正博第3句集『海亀のテント』(書肆侃侃房)、そのシンプルな「あとがき」を紹介する。 


 『水牛の余波』『転校生は蟻まみれ』に続き、『海亀のテント』をまとめた。二〇一六年から二〇二二年までの七年間の作品である。これで動物三部作が完結する。航海を終えて寄港した船底にはフジツボの類が付着していることだろう。

 ルサンチマンや事故模倣、川柳的技術などに混じって、やっかいなのは虚無感だ。句集を出すことで洗浄できれば嬉しい。


とある。集名に因む句は、


  海亀のテントめざして来てください    正博


であろう。ともあれ、門外漢ながら、愚生好みの句をいくつか挙げておきたい。


  酔うたびに街を消してもいられない

  入口に鳥 出口には鳥もどき

  褒められたときには顔を取り換える

  譲りあいながら音量が消えてゆく

  黄泉の河いっしょに遊んでくださるのよ

  逢いたいが虫の種類がわからない

  データには不慮の出会いも入れておく

  屋根に草生やしておけば暖かい

  空白を曳けば山鉾動き出す

  二人とも同じ匂いのする仮面

  この町の数えきれない避雷針

  肉食であれ草食であれぷよぷよ


小池正博(こいけ・まさひろ)1954年生まれ。



★閑話休題・・小池正博「身長を比べあう同姓同名のペンギン」(「川柳スパイラル」第16号より)・・


 小池正博つながりで「川柳スパイラル」第16号(編集発行人・小池正博)。特集は「『川柳スパイラル』創刊5周年の集い」。「編集後記」の中に、


 夏が過ぎ、秋から冬へと向かってゆくが、古いものは落ち、新しい表現が生まれてゆくことだろう。晩秋になるとリルケの「秋」という詩を思い出す。落葉のように私たちはみな落ちるのだが、その頽落を受け止めるやさしい掌があるというのだ。


ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


  編み上げた夜をあなたに渡そうか     清水かおり

  とりあえず泣く雨の日のやじろべえ     畑 美樹

  インターホンにて所感を述ぶるなかれ    湊 圭伍

  赤だしも白だしもいいおとしごろ      一戸涼子

  難問を解いた銀杏から落ちる        悠とし子

  不死身です丹下左膳もぼくちゃんも     石田柊馬

  ヒロヒトの煮る時雨煮に似た寛子      川合大祐

  プルタブを引く終わりの始まり       浪越靖政

  憲法」を保つ立派な「日本国        飯島章友

  あふれつづけるものこぼしつづけて今日   兵頭全郎



     撮影・芽夢野うのき「壊れるって最後の積木つんだから」↑

2022年12月22日木曜日

恩田侑布子「よく枯れてかがやく空となりにけり」(『はだかむし』)・・


 恩田侑布子第5句集『はだかむし』(角川書店)、その「あとがき」に、


 天空の書斎に恵まれた。冬は安倍川のほかほか日あたる石河原。春は木見色川の花の奥。野山に新茶のさみどりがはしれば、小瀧のそばの楓の下が涼しい。本書はその岩場を机と椅子に、水音を聞きつつ選句にはげんだ。透きとおる若楓はいつか青天井になり、木末のかなたの駿河湾は、すでに秋めく紺青の帯をながしている。(中略)

 ウイーンの古都を抜けて、ドナウ川に会いに行った。(中略)あのモスグリーンの静かな水が、きな臭い黒海、戦乱のウクライナのほとりに流れ入ることを思うと。「核」と地球温暖化は、季語の本意(ほい)さえ変えかねかねない。


 とあった。つい先日、澤好摩と数年ぶりに会い、歓談した。その折、本句集にも話が及び、「冨嶽三十六景」の章、冒頭の「初富士や大空に雪はらひつゝ」は、イイね、と愚生が言ったら、「そうだろ・・、句集にする前に見せてもらったとき、この句がいい、と僕も言ったんだ・・。納得してなかったようだけど・・」と返ってきた。集名に因む句は、


  うちよするするがのくにのはだかむし


 であろう。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


  身一つ容れゝば縊れ花の闇           侑布子

  つゞれさせゆめには夢をあたふべし

  足もとのどこも斜めよ野に遊ぶ

  なきひとは在りし人なり木の芽風

  形代へ吹く息けもの臭きかな

  春雷の涯(はたて)へひとを送りけり

  あをあをと水の惑星核の冬

    二〇一八年七月オウム死刑囚十三人処刑

  ハルマゲドン骨粉となる半夏生

  南冥へ波上げにゆく瀑布かな

  渦銀河敵も味方もサピエンス

  身一つを谷に漱ぐや銀やんま

  ほそ道やひかり長けたる花ふゞき

  雨あしにくぼむ春水ちゝとはゝ


 恩田侑布子(おんだ・ゆうこ) 1956年、静岡市生まれ。

  


    撮影・中西ひろ美「つやつやの汝に触れむとすれば落つ」↑

2022年12月21日水曜日

佐藤りえ「音なく雪 死にも跫音ないだらう」(『良い闇』)・・・


 
  同恵送されてきた「怪談牡丹灯籠双六(かいだんぼたんどうろうすごろく)」↑


  佐藤りえ幻想怪奇俳句集『良い闇や』(発行人・佐藤りえ)、豆本、黒い紙に文字は白であるが、愚生の眼では、豆本ゆえ、当然ながらルーペは必携。やっとの思いで、字を辿っている始末。同時刊行に「九重」3(発行人・佐藤りえ)、こちらは、りえの個人誌で、本号のゲストは小津夜景、夜景の句集『花と夜盗』をめぐるあれこれが書かれている「『花と夜盗』をめぐる12章」。その他の記事は、佐藤りえの誌上歌集と銘打たれた『森の中』120首余。その「九重」の編集後記の結びには、


 戦禍は過ぎました、War is  over. と、ここに書けないことが非常に残念です。同時に今この瞬間もそれぞれの持ち場を守る人々がいることに思いを馳せ続けています。


とあった。ともあれ、句集と歌集から、いくつかを以下に挙げておきたい。


    第五夜

  煉獄へ火の鳥馳せて火のをんな         りえ

    第十夜

  豚を撲ち撲つパナマ帽汗みだれ

    東海道四谷怪談

  裏に女房表に間夫(まぶ)を釘付けに

  麺または人撲つ音や二階より

    肺胞 肺胞 仕置きが好き

  七賢人血斧を負ふて帰り来る

  陽炎へ名前を云つてはいけないよ

  紫陽花の根方に黄泉の渦がある

  身体は次の停留所にて待つ

  歳月を言い換えるのに適当なものさしとして差し出す毬藻

  主よハイドロカルチャーの何たるかを教えたまえよ喧嘩中のわれらに

  あまりにも遠い二本の道のりを並走している、ことにしておく

  よくわからない、は言い訳にならないのかもしれない 飴を飲む夜

  擦り傷とやけどだらけの肌をもつ自分の背中が拭けない天使

  スケルトン・ボーイ スケルトン・ガール 肋の奥に宙吊りの心臓

  二本ある線のどちらか切る場合赤を切るって決めてる天使

  死に様はたくさんあって生き様はまだ埒もない向日葵畑

  動けなくなるその日まで みずからの身体という異国を生きる


佐藤りえ(さとう・りえ)、1973年生まれ。歌人・俳人・造本作家。



★閑話休題・・小津夜景「脈の迅(はや)さの雪はふりつむ」(『花と夜盗』)・・


「九重」3、つながりで小津夜景句集『花と夜盗』(書肆侃侃房)。「おぼえがき」に、


『花と夜盗』はこれまで書いた句からてきとうなものを選び、連作に編み直した句集です。季の配列については意識の流れに逆らわずおおまかに整え、漢字については原則として新字体で統一しました。(中略)

 たわむれに書き散らしたことばを一冊にまとめるのは根気のいる作業でした。どれを採って、どれを捨てるか。どんな香りや風合いとわたしは出会いたいのか。深さや硬さ。淡さや儚さ。悔いや憧れ。で、いろいろ試した結果このようになった次第です。


とあった。ともあれ、集中より、愚生好みにいくつかを挙げておこう。


  千の掌(て)のすゑひろがりの涼しさよ     夜景

  閨に賽投げられし夜の流れ弾

  末法を戯(ざ)れてマッポと花泥棒

  あんぐらあんぐらと月を煮る

    吾有剪刀磨未試

  切れ味をいまだ試さぬ鋏かな研ぎし日のまま胸に蔵(しま)ひて

  瑳翠寓 あいらしくわらふ/かはせみ/かりずまひ

  盈(み)ち 虧(か)けに花はおぼれよ殯(かうもがり)

  道しるべ野暮は夕べのひとめぼれ

  

 小津夜景(おづ・やけい) 1973年、北海道生まれ。



      芽夢野うのき「夜の銀杏どうしても行きたい海がある」↑

2022年12月20日火曜日

遠山陽子「冷まじや肉の中なる尾骨恥骨」(「俳句四季」2023年1月号より)・・


「俳句四季」2023年1月号(東京四季出版)、創刊40周年記念特集は、今月と来月号の2号連続「俳句の未来予測」、「十年後の俳句、俳壇はどうなっているか、また、どうなってほしいと願うのか」である。今号の執筆陣は、愚生の他に、秋尾敏・天野小石・大塚凱・奥坂まや・黒川悦子・坂口昌弘・塩見恵介・筑紫磐井・土肥あき子・仁平勝・野口る理・堀田季何・三村純也・宮本佳世乃・渡辺誠一郎。さすがに年齢によって考えることに差が出てくる。ただ、AI俳句に関する言及は多かったようである。興味ある読者諸兄姉は読まれたい。

 未来予測はともかく、「俳壇観測」連載240・筑紫磐井「堀田季何は何を考えているかー有季・無季、結社、協会」は面白い。


 堀田季何のものの考え方がよくわかったのは、二〇一八年十一月十七日金子兜太のシンポジウム(「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」)を開催したとき、何人かのパネラーにいくつかのテーマで基調講演を依頼した。(中略)

(具体的には兜太)がノーベル賞を取るための条件を語ってもらった。(中略)結論は①作品を選ぶこと、②優れた翻訳をすること。③そうした翻訳を大量に流通させること、④媒体を選ぶこと、⑤読者のレベルを上げること、などだ。面白かったのは①で、日本ではどんなに優れた俳句でも外国人に伝達不可能な俳句は紹介を断念した方がいいという、確かに考えればもっともだが、言われてみると実にドライで面白い。また、②では兜太の翻訳された俳句がいかにいい加減かを例を挙げて紹介していた。


そして磐井は、季何がこれまで上梓した句集についてそれぞれ評を加えている。さらに、


 最近の堀田の活動は更に枠をはみ出している。直近の例を見てみよう。二〇二一年春に、「楽園」という電子媒体の俳誌を創刊し、年一回はそれを紙の版としている。立派な主宰者となったのだ。しかし、これは(中略)、堀田に主宰者志向が在ると言っては誤解となろう、戦略の一環なのだ。また現代俳句協会幹事として、新法人の組織設計や定款作りをするなど、新法人発足の中心人物となっている。組織の起案者は、えてして次の時代を主導するものだ。(中略)

 かつてこのような戦略志向の作家がいたかと言えば、実は一人いたと言いたい。それは坪内稔典である。坪内以来の戦略作家を、我々は俳壇に迎えようとしているのである。


 と結んでいる。その意味では、かつて「過渡の詩」を標榜した坪内の「『船団』の散在」もまたその延長線上にある見事な結論だった、といえよう。ともあれ、同号より、愚生好みに、いくつかの作品を以下に挙げておこう。


  ゐのししの舌(タン)切り取りて供へけり   谷口智行

  あかあかと我が身ありける初湯かな      小澤 實

  鎮魂の日のめぐり来て寒風にジャノメエリカの葯黒く揺る(阪神淡路大震災)

                                栗木京子 

  北風にビッグイシューを掲げ立つ       天宮風牙

  秋晴やゆびてっぽうにかなり皺        岡村知昭

  跳ね橋の上がりきつたる白夜かな       岸本葉子

  万緑や永久の被曝のままなれど       高野ムツオ

  それぞれに生年月日原爆忌          川崎果連



★閑話休題・・金子兜太「河より掛け声さすらいの終るその日」(『語りたい兜太 伝えたい兜太ー13人の証言』より)・・


 聞き手・編者 董振華/監修 黒田杏子『語りたい兜太 伝えたい兜太ー13人の証言』(コールサック社)、その帯に、高山れおなが記している。


 我々の俳句は、これからも、なんどでもこの人から出発するだろう。「十三人の詩客」がそれぞれに見た永遠の、可能性としての、兜太ーー。

李杜の国からやってきた朋が、これらの胸さわがせる言葉をひきだした。


 13人の詩客は、井口時男・いとうせいこう・関悦史・橋本榮治・宇多喜代子・宮坂静生・横澤放川・筑紫磐井・中村和弘・高野ムツオ・神野紗希・酒井弘司・安西篤である。写真も多く掲載されているが、各人の各扉ページには董振華と各氏のインタビュー時のツーショットと末尾には各氏の略歴と兜太10句選が添えられている。


董振華(とう・しんか) 1972年、中国北京生まれ。



  撮影・中西ひろ美「外国(とつくに)の和韻に酔ふて柊は」↑

2022年12月19日月曜日

芭蕉「比良(ひら)みかみ雪指ㇱわたせ鷺の橋」(『京都・湖南の芭蕉』より)・・

          

  さとう野火著『京都・湖南の芭蕉』(京都新聞出版センター・2014年刊)、巻末に「さとう野火氏は平成二十四年七月二十六日、享年七十一歳で亡くなられました」とある。著者「あとがき」(平成二十二年二月)もあるので、生前に本稿は纏められていたものであろう。愚生は先日、京都は真如堂・法輪院の墓に初めて参ったが、墓碑には、娘の誕生の歓びを詠んだと思われる「白く生まれ/馬酔木花房/陽を散らす/野火」と刻んであった。その近くには、冷泉家の墓があり、また向井家(向井去来)の墓があった。

 書名は『京都・湖南の芭蕉』であるが、内容は、芭蕉の生涯を写真をふんだんに挿入しながら解説した読みやすいもの。書名にあるように、帯文惹句には、とりわけ、「京・湖南の句碑。ゆかりの場所を約180か所とともに紹介 その息づかいを身近に感じる一冊」のとおりである。とはいえ、京都新聞社勤務時代の取材者として、多くの無署名の文章を書かれたであろうが生かされた緻密さ、そして、今回は、文字通り、自らの俳号をもっての刊行書であれば、当然ながら、さとう野火の俳句観もいたるところで開陳されている。例えば、


 (前略』十二日、市振(いちぶり)・(石川県大聖寺町)に泊り、翌朝発っている。

    一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月

 艶な趣の濃いこの句は虚構中の虚構で大ウソ。学者の中には「遊女を萩に、月を自分に」見立てたものと解釈する人もある。詮索は自由。歌仙は必ず単調にならないよう艶のある句を入れるもので、芭蕉は恋句の名手であった。また、

「俳諧といふは別の事なし、上手に迂詐(うそ)をつく事なり」(俳諧十論)と。

俳文もまた同じで糞(くそ)リアリズムでは面白くもおかしくもない。


 とある。また、愚生が京都に居た3年間、さとう野火にはずいぶんお世話になった。その場面場面で、俳句論を色々聴かされたが、その片鱗をうかがわせることが、著者「あとがき」に記されてあった。


 現代の俳壇の不幸は、昭和後期に始まった生涯学習で、定年後のカルチャー教室ではないだろうか。六十歳の手習いで、余生が長いために伸びる人もいる。しかし、本格的な指導はされず、分かりやすい写生句が多く、面白くもおかしくもない類句が氾濫する。恐らく平成時代の俳人は典型の少ない空白の時代にいるのではないか。

 四十年ぶりに芭蕉を取材して足跡地の変貌ぶりに驚いた。風景が現代化するのはやむなしだが、その地にふさわしくない句碑が多いこと。また、定稿にない句が彫られていたりしていることなどである。このため、原句を示すにあたり『芭蕉発句集』(編者、乾裕幸・桜井武次郎・永野仁)を基にした。各地に好事家によって建てられた句碑にはその地で詠まれたものではないことが多い。誤解をさけるため、詠まれた地をあえて示した。

 挨拶句はあまり佳いとは思えないが、その地の風土が描かれているものは収録した。芭蕉の句がすべて佳作と決めている読者には大変失礼なことだが、芭蕉は俳諧師である。招待されて、持て成しを受け、餞別をもらえば亭主に一句をしたためるのは当然のことでもある。


 また、本書の結びには、以下のように述べられている。


 俳諧を「机上の言葉あそび」から「行動する文学へ」刷新した芭蕉の業績は文学史に不滅の光を放っている。


 ともあれ、本書より、句の幾つかを挙げておこう。


  命二ッの中に生(いき)たる桜哉  (芭蕉最古の句碑・滋賀県大岡寺)

  五月雨(さみだれ)に鳰(にほ)の浮巣を見に行(ゆか)む (甲賀市・常明寺)

  木のもとに汁も鱠(なます)も桜かな    (膳所・戒琳庵)

  牛呵(しか)る声に鴫たつゆふへかな  獅子老人(支考のこと)(京都・永観堂)

  住倦(すみあ)いた世とはうそなり月と花  蘆元坊     (  〃 )

  百歳(ももとせ)の気色(けしき)を庭の落葉哉  (滋賀・明照寺)

  半日は神を友にや年忘ㇾ   (京都・上御霊神社)

  うき我をさびしがらせよかんこどり    (京都・金福寺)

  六月(ろくぐわつ)や峰に雲置(おく)あらし山 (京都・大悲閣近くの山中)

  清滝や波に散込(ちりこむ)青松葉 (京都・鳥居本亀屋町 落合橋東詰左)

     「清滝や・・」の句は、去来が枕元に呼ばれ、改作を指示された句で、時間的に はこの句が最後だったために、辞世の句と主張する研究者もいる。


 さとう野火(さとう・のび)本名・佐藤浩(ゆたか)、1940年8月11日~2012年7月26日) 大分県竹田市生まれ。



            撮影・鈴木純一「木守も

                    右も

                    左も

                    ほの暗し」↑

2022年12月18日日曜日

椎名果歩「冬の濤暗さつのりて崩れけり」(『まなこ』)・・


  椎名果歩第一句集『まなこ』(ふらんす堂)、装幀は和兎。序は小川軽舟、その中に、


 (前略)例えば最初に引いた「大暑なり溜池の水浮腫(むく)みたる」。うだるような暑さの盛りに、汗がしたたるのも忘れて溜池の水面を凝視している。俳人でなくして誰がそんなことを好んでするだろうか。そして凝視の末に果歩さんは、「浮腫みたる」という言葉の出口を見つけて俳句にできた。溜池の水が浮腫んでいるという感覚は異様といえば異様だが、言われてみればそこに発見の驚きがある。ここに挙げた十句には、いずれも果歩さんが目を凝らし、耳を澄まして、何かを掴み取ろうとした濃密な時間が背後にあり、そして俳句に到る言葉の出口を見出した喜びがある。


 とある。また、著者「あとがき」には、


 『まなこ』には「鷹」に入会した二〇一三年秋以降の二六七句を収録している。制作年によらず構成した。句を各章に振り分けることで、自分の現在と過去、心の表層と深淵に気が付いたり腑に落ちたりすることがあったのは得難い体験だった。(中略)

 句集名「まなこ」は〈眩しさに目玉引つ込む深雪晴〉の「目玉」の言い換えである。「本質や価値などを見通す力」という意味もあるそうだ。自分なりの見通す目を得られるように、物ごとの向こう側にまで目を凝らしてゆきたい。


 とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


  田楽をひよつとこ口に熱がりぬ      果歩

  春夕焼火の見櫓に路地尽きる

  地球儀の海溝の紺秋はじめ

  終戦日洗ひたる手のすぐ乾き

  年用意一番星の上がりけり

  裸婦像の靡かぬ髪や小鳥来る

  残月や空気抱き抜く首枕

  遅き日のスワンボートに水重し

  紫陽花や雨戸の固き母の部屋

  月明りマリオネットは睫毛伏す

  螇蚸飛ぶたびに時間のずれてゆく

  春深しパタパタ時計パタッと1

  蓮の葉に白昼の風伸び縮み


 椎名果歩(しいな・かほ) 1977年、千葉県生まれ。



       芽夢野うのき「藍色の皿にとなりていつかの銀杏」↑