2015年11月3日火曜日

武馬久仁裕「夜の河またも知らないもの流れ」(「子規新報」)・・・



「子規新報」(第2巻第52号)の特集は「武馬久仁裕の俳句」だ。
特集のための武馬久仁裕30句の抄出は小西昭夫。自筆略年譜によると、武馬久仁裕は1948年、愛知県丹波郡古知野町(現江南市)とあって、生まれは愚生と同年である。
彼と最初に会ったのは、たぶん「現代俳句」(南方社)のシンポジウムが名古屋で開催されたときだったとおもう。だが、それもすでに40年近く前?のことになるから記憶ははっきりしない。その頃は、彼の師であった小川双々子(「地表」)が健在で、そのシンポジウムの成功に協力してもらい、よく支えてもらった記憶がある。実に若かった愚生らの世代を応援していてくれたような気がする。その後、攝津幸彦との「豈」創刊の折りには「地表」のメンバーが幾人か道を共にしている。
また、武馬久仁裕と愚生とは「未定」創刊、「船団」創刊では同じ道を歩んだ。あるいは愚生の『大井恒行句集』(ふらんす堂文庫)の解説では清水哲男、福島泰樹とともに、彼に玉文をいただいた。
今回の特集の抄出句の中から、以下に少し挙げておこう。

    定期券差し出す右手薔薇を出す              久仁裕
    広島に生まれるはずはなかったのだ
    階段を上がる人から影となり
    列島に帰る行列から抜ける
    初夏の男女は二足歩行する

実は、「子規新報」には必ず目を通す連載が二つある。宇田川寛之の「となりの芝生ー短歌の現在ー」と堀本吟「近くの他人ー現代川柳論ー」で、いずれも100回を超えている(宇田川寛之は133回)。
愚生にとっては、短歌・川柳を覗き見る小さいながら大切な窓である。もちろん、小西昭夫は、ときに寺村通信などと名乗って相変わらずの健筆をふるっている。どうやら東莎逍こと、東英幸も健在らしい。
因みに武馬久仁裕のホームページ「円形広場+俳句+ART」は以下。

      http://www.ctk.ne.jp/~buma-n46/



2 件のコメント:

  1.  「子規新報」、武馬さんへのコメント有り難うございました。未だに携帯さへ持たないぼくには、ネットのメディアはあまり親しいものではありません。武馬さんからのお便りで覗いてみました。
    宇田川さんと堀本さんに触れていただいたこともありがたいことでした。

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  2. 小西 兄

    ご無沙汰しています。
    コメント恐縮に存じます。
    ご自愛、ご健筆祈念いたします。
               大井 拝

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