関悦史第二句集『花咲く機械状独身者たちの活造り』(港の人・2000円+税)。関悦史の生れは1969年㋈、茨城県土浦市。第一句集『六十億本の回転する曲つた棒』(邑書林)も確か800句を超える句が収載されていたように思うが、本句集は、それにも増して「二〇一一年末から二〇一六年冬までの既発表句(および未発表句の数句から)一四〇二句を内容。傾向により大別して収めた」(「あとがき」)とあった。
というわけで、といささか言い訳めいてはいるが、一句一句息を留めて時間をかけて読むという仕方ではなく、散文、それも物語か小説でも読むように行を読み進めた(1ページ8句立て)。それにしても、さまざまな試みと同時に、関悦史の想いの在り様をなぞるように言葉が追いかけてくる気配が感じられるものだった。誰だったか、無意識は機械である、と言ったのは・・・。ただ「花咲く機械状」には、無意識的な不分明さは余り感じられない(愚生には分からない言葉が多々あるが)。それは作者と作品の距離が意外と近いとこころにあって、ほぼ等身大に表出されているからだろう(生身なのである)。活造りのゆえであろう。
読者諸兄姉には、是非、本句集を手にしていただき、この句集の醍醐味を愚生とはまた別の感受で読んでもらいたい。ともあれ、いくつかの句を紹介しておこう。
土浦の日先(ひのさき)神社社殿には、千羽鶴とともに獣の尾の如きが幾つも垂れ
兵の妻らの髪束凍る社かな 悦史
ここに不意に線量計付き精米機建つ片蔭
口と陰唇かろくひらきてドールの秋
二〇一一年一二月一〇日 皆既月食、中井英夫忌、『虚無への供物』幕開けの日が重なり
皆既月蝕見上げわれらも供物なる
安全富裕地帯(ぐりーんぞーん)に危険貧困地帯(レッドゾーン)接す旱かな
またやるんですか
白息の祖母竹槍を手に整列
報道自由六十一位目借時
翌年さらに七二位に下落
すべりひゆ耕衣歩むを面白がる
無愛(むあい)これソメイヨシノは皆クローン
ポテトチップ挿せば翼や「ひよ子」の春
流氷と流れ来(く)つかみあふ兵の凍死体
蟬氷痼(せみごおりひさしくなほらないもの)
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