2018年6月15日金曜日

仁平勝「秋天に白球を追ひ還らざる」(『自句自解ベスト100仁平勝』)・・

 

 シリーズ『自句自解ベスト100仁平勝』(ふらんす堂)、ブログタイトルにした「秋天」の句には、「攝津幸彦逝く」の前書がある。自解には、

 (攝津幸彦は)阪神タイガーズの大ファンだった。子供の頃、父親と見に行った試合で、「藤村富美男のファールフライが美しかった」そうだ。一九八五年に阪神が優勝したときの喜びようはいうまでもない。きっと彼の世まで、藤村富美男のファールフライを追って行ったのだ。

 とある。そういえば、その時は、愚生も攝津幸彦に祝電を打った(夫人の資子さんによるとその電報はとってあったそうである)。思いがけない返礼にタイガーズの法被を贈ってくれたのだった。その法被を着て、まだ小さかった愚生の息子は外に遊びに行って失くしてきた。攝津幸彦の勤務先の会社では猛虎会?の会長だったようだ。優勝した時には、務めていた会社ちかくの新橋駅広場で、酔っぱらって咆哮し、騒ぎまくり、池に飛び込んだらしい。
 本著は自句自解ながら、仁平勝はさすがに批評家らしく、彼の俳句観のエスキスをあますところなく披歴している(以前にも雑誌などで述べてはいたが、改めて記している)。例えば巻末の、「俳句を作る上で大切にしていること」に、

 あらためて私の俳句観をいえば、俳句は発句と違って脇句がないのだから、べつに切れがなくてもいいのではないか。だんだんそう考えるようになった。なぜなら五七五の定型は、もはや切れを必要としないほど成熟していると思うからだ。げんに虚子を始めとして、発句的な切れをもたない俳句はたくさん作られている。
 ちなみに虚子は、「俳句を志す人の為に」という文章で、「切字といふことを昔は大変やかましくいつてゐましたが、それ程やかましくいふ必要はありません。要するに終止言若しくはそれに代る言葉が一句のうちに一つあればよいといふことであります」と述べている。私は虚子の尻馬に乗った。それは、発句的な安定からいくぶん外れるところに、むしろ五七五のリズムが生きてくるように思うからだ。

と述べていることからも知れる(ちなみに仁平勝は、句切れが発句における切れであるなどとは言わない)。言ってしまえば、かつて坪内稔典が主張した「過渡の詩」としての俳句ではなく、むしろ、過渡どころか、俳句として、もはや成熟した詩形となっているのだ、ということである。少なくとも、俳句の現在について、こう分析してみせた評者は、今のところ仁平勝しかいない。他にもいろいろ引用したいところはあるが、それは、読者が手にとって読んでこそ意味があろう。
 ともあれ、本著から句のみになるが、いくつかを以下に挙げておこう。

   童貞や根岸の里のゆびずもう     勝
   片足の皇軍ありし春の辻
   本郷もかねやすまでの夕立かな
     今井杏太郎に師事
   老人を起して春の遊びせむ
     弟和夫逝く
   夏月和厚信士享年五十三
     母ヨネ逝く
   冬菊や遺体の母の乳固し
   立春の電車に座る席がない
   いまに手放す風船を持ち歩く
   夏物をしまふと秋のさびしさが
   よきことを考へながら日向ぼこ



          撮影・葛城綾呂 マツヨイグサ↑


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