2018年6月10日日曜日

蓮如上人「たのませてたのまれたまふ弥陀なればたのむこゝろもわれとおこらず」(「仏教家庭学校」334号より)・・

 

     左・冊子は「龍谷教学第53号抜刷」(西川裕美子)↑

 「仏教家庭学校」通巻334号(教育新潮社)に、俳人・西川徹郎こと西川徹真(にしかわてつしん)の法話「(ねん)とは聲(しょう)とはひとつこゝろなりー乃至十念は名号の独用(ひとりばたらき)-」が掲載されている。愚生のごとき門外漢には、その言葉使いもいうまく理解できないのだけれど、専門誌とはいえ「お盆用・伝道用施本」とも題されているので、読んでみることにした。これも西川徹郎との縁というものだろう。記されてあるいくつかの部分を引用しておきたいと思う。

 苦悩に沈む我ら凡夫の為に〈任(まか)せよ必ず救う〉と名告(なの)り現れ下さった聲の如来が南無阿弥陀佛です。(中略)
 浄土真宗の他力の信心は、名号と付いて離れず、私たちの日々の生活や悲喜折々(ひきおりおり)を縁として称名となって口に現れ、念佛者としての無碍(むげ)の人生を歩ませて下されるのであります。

「必ず救う」の言には、心が動く。名号(みょうごう)とは「南無阿弥陀佛」,唱えのことだろうと推測するが、素人の愚生にははっきりとは申し上げられない。

 親鸞上人は「みだの本願は、とこゑまでの衆生みな往生すとしらせんとおぼして十聲とのたまへるなり。念と聲とはひとつこゝろなり」と仰せられ、如何なる罪人たりと雖(いえど)も本願を信じ念佛する者は一人洩(も)らさず皆救うという如来の願心を顕(あらわ)されたのです。

また、ブログタイトルにあげた蓮如上人の歌には、以下のように述べられている。

 六字の名号を「弥陀」の二文字に攝(おさ)め、自(みずか)らたのませてたのまれたまひつつ、信心一つで往生を遂(と)げさせんとはたらく波阿弥陀佛の大悲の独用(ひとりばたらき)を讃嘆(さんだん)したお歌です。





 あと一つ紹介しておきたいのは、夫である西川徹真に師事し、真宗学を学んできたという俳人・齋藤冬海こと西川裕美子が第53回龍谷教学会議に研究発表したという「『獲得名号自然法爾』について」である。
 パラパラ捲っていると、小見出しに「『教行信証』に顕れた自然法爾」の言葉に、愚生、門外漢といいながら、はてどこかで聞いたことがあるなと思った。もちろん、本文の方は専門家の研究発表の論であるから愚生には大いに難しい。その結論には、

 即ち「獲得名号自然法爾」の教えとは、無義為義にして自力のはからいの絶対否定である。罪悪深重のこの私を自然転成せしめ、仏智不思議の願力に全託せしめ、次生には无上覚へと至らしめ、現生には正定聚に住せしめる他力の信の広大なる徳用を顕すが、「獲得名号自然法爾」の祖意であると窺うのである。

と述べられている。宗教が愚生のような凡夫自身には困難ではないかとハナから思わせるのは、信仰がこころの修行と同時にあるからなのだろう。話を元にもどすと、はて、どこかで聞いたことがあると思ったのは、山折哲雄に「『教行信証』を読むー親鸞の世界へ」の岩波新書があって、ひさしぶりにその件を思い起こしたのだ。たしかこの本は、山折哲雄が70歳に入ってから書き著わしたもので、愚生にはその年齢が及ぶように重なってきている通俗なる安心が芽生えたことにある。
 『教行信証』は、親鸞自身によって言い出されたものではないにも関わらず、この名辞を最後まで手放さなかったという山折哲雄は、その著の結びに、

 (前略)『教行信証』というテキストは、親鸞にあっては未だ変貌をとげつづける「未完の作品」であるだろうと書いた。親鸞という人間もまた、その意味において「人生の途上」にあるほかなかったのだと言ったのであるが、それでは親鸞はこのあとどのような次の世界にむけて足を運んでいったのであろうか。私の目には、とぼとぼと歩きつづけることをやめない老親鸞の行く先に、ほんのかすかに「自然法爾(じねんほうに)」の光が静かにともっているのがみえている。今、私は、あとわずかのいのちを恵まれることがあれば、その最後の親鸞のそば近くまで伴走しつつ、ともに歩いていきたいものと心から願っているのである。

と述べてて閉じている。


             撮影・葛城綾呂 開花開始↑ 


 

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