2020年4月24日金曜日

和合亮一「優雅なる生き物のよう売り切れの残酷な春の未使用マスク」(「現代短歌」5月号・NO.78より)・・

 

 「現代短歌」5月号・no,78(現代短歌社)、特集は「短歌と差別表現」、前月号の特集も「短歌にとって悪とは何か」など、愚生の若かりし頃を思いださせるような果敢な特集が目を引く。もっとも、こうした特集は、只今現在の方がどこか外界からの、眼に見えない圧が強いように思われるので、なかなかに貴重な勇気ある試みだろう。執筆者は木下長宏「差別表現と芸術 序説」、山下耕平「皮膜の薄くなった私たちの『お庭』」、編集部編「明治・大正・昭和期の秀歌にみられる差別語の使用例」、座談会「短歌と差別表現」=加藤英彦・染野太朗・松村由利子。
  とはいえ、愚生は俳人だから、ここは、安里琉太の評論「沖縄における歳時記~季語生成の言説とネーションの美学~」にふれておきたい。それは、いかなる言説も政治性を帯びているという証明を試みているのだ(本稿では沖縄をタームに編まれたいくつかの歳時記を俎上にのせて)。不十分だが、結びに近い部分をのみ以下にあげておこう。

  (前略)戦後盛んに行われた沖縄独自のものの対象化は、一人(愚生注・小熊一人)の歳時記の「製糖」に付された短文そのままに実践された。日本最南端の波照間島を見るとき、その視点は地理的且つ鳥瞰的な広いレンジから、地上に降りたつ。(中略)
 季語はあくまで文化構築的なものであって、〈ありてある〉ものではない。加工され枠へと流し込まれる工程を経て、漸く季語の本意として凝結する。凝結された季語の本意は、ゲシュタルト的認識布置に他ならず、俯瞰的なまなざしから対象化されたはずの〈沖縄〉の凝結をそこに創出する。季語は季語になるべく、対象化された背景を喪失することで、本意を有するのである。
 この地点において、もはや歳時記は季語がただ並んでいる辞典でもなく、単なる「楽しい読み物」でもない。(中略)芭蕉や西行がそうであったように、かつて詩の生まれた場所に立って詠むことを欲望するのだ。言うなれば、ネーションの美学をまなざす実践を可能にする”政治的”な書物であると言える。

 ともあれ、本誌よりいくつかの歌を挙げておこう。

  日が昇り誰もが朝を信じてる真っ赤に燃える町の裏切り     和合亮一
  冬が終わるまでって言われ我慢した行方不明のニワトリたちは  東 直子
  傷見せんと娘がかざす手の甲は角度を変えても逆光のなか    花山周子
  花びらは透明な血を吸いこんでうす紅いろに咲き散っている   嵯峨直樹
  葱のにおい 厨仕事にかけられた呪いを解いてといて百年   北山あさひ
  琉球語(りゅうきゅうご)が日本方言の一つなる事実だにせめて人よ忘るな
                        柴生田稔『麦の庭』昭和23年




★閑話休題・・・豊里友行フォト・アイ『おきなわ 辺野古の貌ー今を撮る』・・・




 上掲の柴生田稔の短歌にある琉球語つながりで、豊里友行写真集『おきなわ 辺野古の貌ー今を撮る』(穃樹書林・本体1000円)、「あとがき」とおぼしき「感謝」に、

 この写真集の私の辺野古語りは、二〇〇四年から始まった私なりの出会いの財産という沢山の感謝の積み重ねだった。私の辺野古取材での怒り・悲しみ・憤り・焦り、そして喜びなど沢山の汗や涙を流しながら写真の試行錯誤してきた私なりの歴史証言だ。

 と記している。彼の写真の師は樋口健二、日本写真芸術専門学校時代の校長は秋山庄太郎だったという。彼は写真家であるとともに、若き俳人でもある。

 豊里友行(とよざと・ともゆき) 1976年、沖縄県生まれ。



                撮影・水津哲 ↑

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