2020年12月11日金曜日

坪内稔典「接吻が彼らもきっと長いだろう斎藤茂吉佐佐木幸綱」(「現代短歌」NO.82、1月号)・・


 「現代短歌」No.82・1月号(現代短歌社)、巻頭作品は、坪内稔典100首。そして第7回佐藤佐太郎短歌賞(歌集・齋藤芳生『花の渦』)と第8回現代短歌社賞発表(300首応募・西藤定「蓮池譜」)である。愚生は門外漢なので、ここでは、受賞者の一人一首と坪内稔典に敬意を表して、100首の中から、各題一首を挙げておきたい。


 雨をよく弾く傘なり一年生今日は一度も泣かずに帰る       齋藤芳生

 外出を避ければ祖母は歩けなくなるだろうそうしてほしいのだ    西藤定

      バナナ

 バナナたちどれもバナナとして曲がるなぜなのだろう今朝から秋だ 坪内稔典

      秋の山脈

 恋慕する対象はある秋空の山脈そして頬杖のヤツ

     今ここに

 今ここへ来てほしいもの水浴びる小鳥二、三羽すぐ散る二、三

     なんとなく

 なんとなく青い蜜柑の香りしてアイツが来ている近づいている

     啄木のいた日

 啄木は二十七歳ねんてんは七十六歳雪はふわふわ

    海岸物語

 海岸にタテカン立てた「この海をきれいにしよう・子供会」  

    接吻

 ヤツと今キスしたばかり晩秋の窓を二人で閉ざしたように



★閑話休題・・・坪内稔典「ワトソンの眼鏡のように秋の窓」(「船団」増刊号)・・


 「船団」増刊号(旧船団の会、発売・南方社)、「船団」終刊号のまとめの号である。従って特集は「『船団)(1982~2020)」の「『船団』総目次」(創刊号~第125号)に資料価値がある。巻頭エッセーには、内田美紗「ディスタンス」、塩見惠介「されど俳句」、坪内稔典「午前三時ごろ」、仁平勝「『いいおせない』こと」、三宅やよい「船団から小舟へ」。また「船団」の各句会の概要、「船団賞の記録」、「船団本の記録」など、いわば「船団」の歩みの総括である。作品欄のテーマは「コロナの日々」、これも「船団」らしく、現在の光景をテーマに選んでの作品群。ただ、コロナの状況を抉り出すまでには、残念ながら、多くの作品は遠かった。それだけ、只今現在を書き切るのは、誰しもに困難なのであろう。「船団」は散在するという。坪内稔典らしい戦略である。散在した「船団」のそれぞれの会員には、まだまだ未来が残されている。奮闘を!! ともあれ、ここでは、出色のエッセイだった仁平勝を以下に抄出しておきたい。


 (前略)だから連歌師や俳諧師たちは、発句を必要としない詩型として自立させるために、それが脇句(つまり「歌」の後半)から切れる(・・・)ことを重視した。そのノウハウが切字である。と同時に、俳句はいわば俳句のDNAとして、「歌」を中断するというモチーフが引き継がれている。「謂ひおふせて何かある」という芭蕉の言葉を借りるなら、それはすなわち「いいおおせない」ことだ。

 なぜ脇句(以下の連句)を切り捨てた俳句が近代の詩として成立し、今日まで生き残っているのか。それはほかでもない、私たちの表現欲求が「いいおせない」ことを表現的な価値として支持してきたからだ。あるいはそういう表現のありようを求めてきたともいえる。(中略)

ところで私は、俳人にハガキとかメールを送るとき、ときどき相手の俳句に脇句を付ける。たとえば、四年ほど前、読売新聞で後藤比奈夫句集『白寿』の書評を書いたら、ご本人から礼状と一緒に、色紙を送っていただいた。〈夕方は滝がやさしと茶屋女〉の句である。(中略)それで私もお礼の葉書を書いて、そこにこんな脇句を付けてみた。

  夕方は滝がやさしと茶屋女     比奈夫

  水現れて落つる涼しさ       勝 

 いうまでもなく、後藤夜半の句〈水現れて落ちにけり〉の本歌取りである。そうしたら、それにまた礼状をいただいた、そこに「見事な脇を付けていただいて心許ない句がしっかり立ち上りました。私も嬉しいですが、父もまた喜ぶと思います」と書かれてあり、私のほうも嬉しくなった。後藤比奈夫さんにお会いしたことはないが、とても豊かな会話を交わしたような気がした。



    撮影・芽夢野うのき「裸木がきれいだ君はみんなうわのそら」↑

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