2022年11月15日火曜日

寿賀義治「桜紅葉マスクのエルビス像褪せず」(『アンソロジー宙』)・・

 

 『アンソロジー宙』(八日会句会)、その前書、寿賀義治「八日会句会 アンソロジー 『宙』の刊行にあたって」には、


 八日会句会は二〇一七年四月八日にスタートした。その前は、姫路でしらさぎ句会の指導を前任の山本千之氏から依頼を引き継ぎ、二〇〇二年三月から二〇一七年三月まで十五年二か月間担当させてもらった。この間十年、十年二か月経った二〇一二年四月十七日に、十年の記録の意味もあって、しらさぎ句会アンソロジー「翔」を刊行したが、その後の五年間は、残念ながらアンソロジーを刊行できずに姫路での指導句会は終了した。そんなこともあって、二〇一七年四月、妻とふたりで二人だけの卓上句会をわが家でスタートさせた。その年が四月八日だったので八日句会と名づけた。(中略)五年間という期限付きの句会もことしの六月の句会をもって幕を閉じた。(中略)八日会句会アンソロジー「宙」は、めづらしい三人だけの、五年三か月の歩みの記録です。世の中に「やさしさ」は必要です。これからも元気で作句ができる限り、「人」や「もの」にやさしい俳句づくりをめざしたいと思う。


 とあり、また、三輪映子の「あとがき」には、


 俳誌「渦」の行く末が不明確なころ、「渦」に殉じることができずに、やむを得ず、二〇一七年十二月末日をもって退会された、寿賀先生ご夫妻が始められていた「八日会句会」に私も入れていただき、三人の句会となりました。


 とあった。本集の後半は、句会ごと毎月の「八日会通信」に掲載された寿賀義治のエッセイが収載されている。その「散歩道(四十五)変わるものと変わらないもの」に、


 私の俳句の師のうちの一人が赤尾兜子である。何度も書いたことであるが、「渦」は昭和三十五(一九六〇)年十月一日、まさに新秋とともに創刊された。昨年、二〇二〇年十月に創刊六十周年を迎えたわけである。(中略)

 時の流れはときに非情でもある。〈春意とは山墓箒立てしまま 兜子〉〈節分や寡黙を守る辞典類 木割大雄〉〈みずみずし病後の宇宙や金木犀 中谷寛章〉。世の中はすれ違うことも多いようだ。かつて「兜子は『俳句とは何か』『本物の俳句とは』と俳句の真実を追って夢を見つづけた俳人だった」と書いたが、いまもその考えは変わらない。


 と記している。ところで、寿賀義治は、本集で、友岡子郷の「椰子俳句会」に十年八カ月在籍していたことや、子郷の句などを記している。が、その子郷が亡くなったことは愚生は知らなかった。

 


  偶然ながら、「対岸」11月号に、今瀬剛一が「友岡子郷さんを悼む二句」と前書を付し、


  白桃を剥き滴れる夜であり       剛一

  翌る日の翌る日も凪秋の海  


 二句を発表されていたので、思わず絶句した。そして、何時、亡くなられたのだろうと、ネット検索したが、ウィキペディアの友岡子郷の項目、その他にも、忌日の類は無かった。しかし、本日、近くの図書館で、これもたまたま手に取った「俳壇」12月号に、坪内稔典と中岡毅雄による追悼文に接した。それによると、先般、「今年八月十九日(奇しくも俳句の日)に八十七歳で他界した」(坪内稔典)と記されていた。

 ともあれ、本集より三名の方の句を紹介しておこう。  


  虚空より縄飛びの子ら還りくる        寿賀義治

  終りたる曲芸飛行春ゆけり

  姉のあと追ふ妹や春いちご 

  母の家母のゐぬ冬来たりけり         寿賀演子

  しやぼん玉ひとつ残らず雲に乗る

  流れゆく水に音なき秋の暮

  薔薇の庭薔薇名人の弾くピアノ        三輪映子

  春の雲古墳の上に立つふしぎ

  色変わる時は見えざる酔芙蓉



      撮影・中西ひろ美「立冬や人は発ち座は残さるる」↑

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