2014年10月8日水曜日

寺山修司「月蝕待つみずから遺失物となり」・・・



今夜は皆既月蝕、十分に堪能したが、月が再び輝きを取り戻すころから雲に覆われてしまった。
近くの農工大まで,散歩をかねて月蝕を観に行った。
畑に囲まれ、街灯もなく、暗さも手伝って月はよく見える。学生や中には親子でシートを敷いて楽しんでいた。上の写真は月蝕下の農工大のトウモロコシ畑である。
さすがにじっとしていると夜の冷えが身にしみてきた。

      汽車と女ゆきて月蝕はじまりぬ     西東三鬼
      月蝕や少年少女ちちあわす      堀井春一郎
      月蝕の謀るしづかさや椎若葉     石田波郷




2014年10月7日火曜日

「逸」第34号・・・



「逸」は少し変わった不思議な雑誌である。同人誌ではない。花森こまの個人誌というところだろうが、今号の招待作品は安井浩司・松本恭子である。さらに和田悟朗の榮猿丸句集『点滅』の鑑賞、加えて妹尾健の評論「石原映水のこと」もある。そのほか愚生にとっては、懐かしい名が散見される。例えば木戸葉三、楢崎進弘、吉田健治、渡辺隆夫、小島ノブヨシ、そして花森こまもその一人である。いずれも特徴のある貴重な作品に評論である。
とくに地味ながら丁寧な俳句史をつむぐ妹尾健の「石原映水のこと」には以下のような記述も見える。享年30で夭折した映水は昭和9年「俳句研究」3.4月号雑感で、

当代の俳人を列挙して『渡辺水巴、池内たけし、星野立子、花木伏兎、山口誓子、水原秋桜子、山口青邨、日野草城、藤後左右、赤星水竹居、山本梅史、何れの一句として読みに堪えるものとてはない弛緩せる低調さを示している』(我らの進むべき道ー『俳句研究』三・四月号雑感 昭和9年4月稿)とする。ー中略ー映水の筆はそれらの人々を含めてすべてを低調と断じて憚らないのである。この論調は昭和俳壇においてホトトギス・新興俳句・自由律俳句の他に日本派とも呼称してよい一派があったことを証明している。この一派は昭和俳句のいずれの傾向に対しても批判的であった

と言う。ここにはたぶんに妹尾健のただいま現在の俳句の流行に対する姿勢もうかがわれよう。
「逸」は年2回の刊行ということらしいから、単純に計算すると17年を閲していることになる。貴重な存在感である。
最後に、雑誌ではめったに読めない安井浩司と松本恭子の句を挙げておきたい。

     草露や双手に掬えば瑠璃王女       浩司
     春陰の寺や午沈のからすども
     悲しみもあらん麦星(スピカ)の乙女座に
     上向きに炎える実柘榴耕衣の絵
     山寺詩「蕉心伸びず時雨待つや」

     家中の留守をひびかせ蝉の声      恭子
     かまつかのかまつかたれば飛び立てよ
     窓あけてある淋しさダリアの家
     残菊やはげしきものを腸に
     薔薇色の柱のへりに死がきてる
  
                     チカラシバ↑

高篤三「浅草は風の中なる十三夜」・・・



今朝、東京は台風18号の風雨に見舞われていたが、昼過ぎには台風一過の青空となった。
高篤三(こう・とくぞう)の句のように、文字通り野分のおもかげの風が吹き、十三夜・後の月がいっそう明るかった。
高篤三については細井啓司の貴重な仕事である『高篤三句集』『高篤三詩文集』(現代俳句協会刊)によって知ることができる。しかし、実はそれ以外に手立てはさしてない。高篤三(本名・篤雄)は明治34年6月2日、東京市浅草区象潟町二番地に生まれた。亡くなったのは昭和20年3月10日(東京空襲の日)。
篤三は戦前の「句と評論」で頭角をあらわした作家。篤一、八巣篤の名で、三橋敏雄、中谷春嶺、渡辺白泉、細谷碧葉(源二)などと競い活躍したという。

    
      水の秋ローランサンの壁なる絵           篤一
      南風は鏡の中に魚となる
      六月の海の碧さにクレー射つ
      算盤の古き重たき秋の風               篤三
      浅草は風の中なる十三夜
      
そういえば、今日はE・A・ポーの亡くなった日でもある。享年40.後にボルチモア市民有志によって墓地を作りなおし改葬さという。また、ポーには10代の妻がいたが、短命で、彼女の墓が土地開発でつぶされたときに、ポーの熱烈なファンだった人物によって、彼女の骨は箱詰めにされたままベッドの下に置いて保管され、ポーの墓の改葬後十年、1885年に彼女の骨もポーの墓地に一緒に葬られることになったと伝えられている。


                                           ムラサキシキブ↑

2014年10月5日日曜日

山根真矢「蟷螂は斧上げてより考ふる」・・・



山根真矢句集『折紙』(角川学芸出版)、句集名は、

    折紙となる前は紙春疾風

からのものだろう。ここで脱線して言うのだが、最近の句集作りはどうもこうして画一的なのだろうと思う。帯の表はだいたいその句集序文からの抜粋(いわば推薦文のようなもの)で、裏はだいたいが自選句が10句ほど並べてある。
たしかに、これでその句集のほぼいい部分の全容が知れるのだから、有難い話には違いない。
しかし、反面それだけで、句集本体を読む必要がなくなってくる、という感想を愚生は抱いてしまう。
これに巻末の著者略歴をみれば、作者に対する謎はほぼ失われてしまうのである。文芸には謎も魅力のひとつだろう。まして作者の等身大の作品がそこに浮かび上ってくると、魅力もまたそこで多くは半減する。
以上のようなことは、むろん山根真矢にとっては関係ないことだから、近年の多くの句集に対する小生の愚痴と思っていいただいていい。
話題を転じて句集『折紙』についていうならば、「蟷螂は斧上げてより考ふる」を一に推したいところだ。斧を振り上げるのが勇ましいというのではない。わざわざ斧振り上げた後に考えるということを、何らかの比喩として読むこともない。いささかのかなしみがそこにある、と思うのみである。枯蟷螂ということもその先には待っているようにさえ思われる。またさらに、句の新味もある。蟷螂が考えるというなしぐさにはたしかに思い当たるものがありそうだが、それでも、句にこう詠まれたことはこれまでになさそうですから・・・。
ともあれ、愚生の好みのいくつかの句を以下に挙げておこう。

   緑陰や声よき鳥は籠の鳥
   名月や水無き川の砂流れ 
   瀬戸内は人容るる海波郷の忌
   水の秋櫂もて岸を押してより
   シュークリーム春の空気も入れにけり
   門の内あれば外あり秋の暮
   福島も桜紅葉のころならむ


                   オナモミ↑      

2014年10月2日木曜日

宇多喜代子「夏帽子日ごとに重き真旅かな」・・・



『宇多喜代子俳句集成』(角川学芸出版)に収められた第7句集と称する実質未刊句集「円心」を紐解くと次ような句に目がとまる。

     短夜の赤子よもつともつと泣け       喜代子
         長崎
     臥してみてまことに青き芒原
     長崎に夜も崩れぬ夏の雲
     隣席はまたも亡き人初桜
     終戦といえば美し敗戦日
     手鞠唄戦のことも唄いこむ
     海へ行くのか天に行くのか流し雛
     いつの世の棄民か棄牛か班雪
     恐ろしきもの三月の宙より来
     並び出て毒かもしれぬ蕨の芽

とりわけ、「長崎」や「終戦」あるいは「いつの世の棄民」には、宇多喜代子はやはり新興俳句の系譜につながる最後の俳人の一人に違いないと思わされるのだった。それは、かつて坪内稔典が宇多喜代子の第一句集『りらの木』が俳壇ではほとんど評価をされなかったことに異を唱えて、弁護をしていたことと重なっている。そのとき坪内稔典は、次のように書いたのだった。

   透明な空虚、それが多分、宇多の美意識の核である。この場合、美意識は、宇多の生そのものと同義だが、要するに彼女は、その核心に透明な空虚をかかえこんでいる。さきにあげた一連の句が、きよらかな哀しみともでもいうべき情感を帯びているのはそのためだ。この点において、宇多の俳句は独自であり、森澄雄らの世界と遜色はない。
                 (初出は「草苑」昭和58年1月号・『世紀末の地球儀』海風社・所収)

そして、宇多喜代子の句法について、高屋窓秋や富沢赤黄男、高柳重信などの句法を踏まえた新興俳句の系譜にうちに自らを置いたものだと指摘していたのだ。

ともあれ、坪内稔典らととも愚生は「現代俳句」に関わり、姉貴分として、常に前を歩いてきた宇多喜代子が、今年第14回現代俳句大賞を受賞したのは実にうれしかった。70歳代の締めくくりの俳句集成といい、これまた「今後の精進の礎」と期すとの宇多喜代子の心映えに敬意を隠しえない。
そういえば、何時頃のことか、もう明確には覚えていないが、何かの会で、関西に出向いたおり、宿もすでになくなり、仁平勝と一緒に宇多喜代子の家に泊めてもらったことがある。夜食にお茶漬け、朝の味噌汁を実に美味しくいただいたことを懐かしく、いま思い出している。

*閑話休題・・・ 集成の宇多喜代子年譜の中で、平成6年のところで弘文堂より『イメージの女流俳句』刊とあるのは、正しくは弘栄堂書店である。この本も愚生にとっては宇多喜代子との有難い想い出のひとつだ。

最後になるが、未刊句集「円心」から今少し、句を引いておきたい。

     元日と一月一日とは不同
     満身に春風一生はかくも長し
        三月十一日以降 原発を円心として
     肉を出て肉声となる声涼し
     帰らざるあまたあまたや鳰の巣も
     夏帽子日ごとに重き真旅かな
     いま飲んだ水を涙に夏夕べ
     八十になればなつたで汗しとど
     腰据えて足袋履くときの左傾右傾
     花見茣蓙だれも坐らぬまま湿る
     今日生まれ明日死ぬ牛の呱呱の声
    



                       リュウキュウスズメウリ↑


大峯あきら「短夜の雨音にとり巻かれたる」・・・



大峯あきら句集『短夜』(角川学芸出版)所収。
たしかにそう思う。清澄のしじまのなかにいる気分、どの句でもいい。そのような句が沁みてくる。
他力の信心とは、およそ縁がうすく、通俗煩悩の魔に悩まされている愚生にとっては、いかばかり近づきたい境地であろうか(およそ無理のようですが・・・)。
「あとがき」に「自我のはからいを捨てて、無限者のはからいにまかせた人生は、もはや日の暮れに向かって過ぎ去る人生ではなく、広大な生命世界の開けを告げる暁なのだ、という真理に気づかされるからです」ともある。愚生はただ、諦めきれぬとあきらめているだけで、嘆いているだけなのかも知れません。
大峯あきら・1929年生まれ、85歳。しばらくは、流れ去らない句のあじわいに浸ってみたい。

          東日本大震災
    はかりなき事もたらしぬ春の海           あきら
    みちのくや上りつめたる後の月
    心持ち夕べが早し花茗荷
    初日出てすこし止りて上るなり
          浜名湖
    みづうみに入り来るうしほ雲の峰
    草枯れて地球あまねく日があたり
    よき壺にたまる埃や神無月
    朴落葉はじまる山の日和かな
    元日の山を見てゐる机かな
    春の雪眺めてをれば積りけり
    静かなる盤石に夏来たりけり
    

                  
                   ヤブミョウガの実?↑

2014年10月1日水曜日

鴇田智哉「あかるみに鳥の貌ある咳のあと」・・・



鴇田智也『凧と円柱』(ふらんす堂)。
「この句集はいわば、心の編年体による」(あとがき)とは、難しい物言いだ。
心に歴史のような確とした編年があるとも思えないが、鴇田智哉ふうな言いぶりと思えば、それはそれでそうした風貌を感じさせる好ましさがあろう。
咳の句を挙げよう。

      あかるみに鳥の貌ある咳のあと     智哉
      咳をするたびに金具のひかる家
      木の皮が貼りつき咳をしなくなる
      

鳥と貌なら「水鳥をみる飲食(おんじき)のあとの貌」皆川盤水、「百舌鳥に顏切られて今日が始まるか」西東三鬼などを思い起こしてみてもよいが、いずれも自らの貌のことである。さすれば、「あかるみに鳥の貌」としたのが新味であろうか。しかし、そんな理屈はじつはどうでもいいことなのだ、と思わせる句集でもある。そしてまた、難しい物言いだ、と冒頭に記したようにじつにわかりにくさの伴う句群でもある。
このことは、愚生の感受の衰えにひたすら起因していることだろうから、作者は気にすることはない。
少し気にかかったのは歴史的仮名遣いよりも現代仮名遣いに変記したとすれば、句の姿はもう一段生き生きした姿を現したかも知れない(大きなお世話といわれそうだが・・・)と勝手に思う。
ともあれ、いくつか、愚生の心にとまった好みの句を挙げておきたい。

     さざめきのさなかに針をしまふ春
     つはぶきは夜に考へられている
     塊として菜の花にうづくまる
     ウミネコはガードレールを見たとのみ
     円柱の蟬のきこえる側にゐる
    
そうそう、「あかるみに鳥の貌」の「あかるみ」は「空風のあかるみに木のまぎれたる」の「あかるみ」だとすれば、よくわかる気がする。

*閑話休題・・・(今年の田中裕明賞はこれでキマリかな???、果たして行方は・・いかに)


                    エンゼルトランペット↑