多摩川から遠富士↑
今日、10月10日は素逝忌(1907年~1946)である。享年39。
長谷川素逝は句集『砲車』(昭和14年)の戦場句によってことに有名になった。それは、ある意味でホトトギスの客観写生のまっとうな方法がそうさせたと言えよう。
虚子は『砲車』序に、
素逝君も其後砲兵中尉に昇進したのであるが、不幸にして病を得、今は内地に環送されて居る。然も支那事変は有史以来の出来事であり、その支那事変の俳句における第一人者であり得たといふことは以て自らを慰む可きであらう。
と言挙げしている。
かかれゆく担架外套の肩章は大尉 素逝
おほ君のみ楯と月によこたはる
汗と泥にまみれ敵意の目をふせず
雪の上にけもののごとく屠りたり
みいくさは酷寒の野をおほひゆく
しかし、素逝は戦後刊行された『定本素逝句集』からは、『砲車』の句をすべて葬りさったという。
昨日の忌日の橋本夢道は、時代のなかで、自らを貫いていて権力によって弾圧されたが、素逝は盛名を馳せたと言われながらも、つまるところ時代の潮流に翻弄されていた、ともいえる。ならば、その時代が去ってしまえば、眼前の景を詠む客観写生という方法において、素逝の句が静けさを増してゆくのはけだし当然であった。
うちしきてあしたの沙羅のけがれなし
ふりむけば障子の桟に夜の深さ
いちまいの朴の落葉のありしあと
イロハモミジの実↑
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