2017年5月13日土曜日
金田洌「洋装の聖地ミラノは春隣」(「夢座」175号)・・
「夢座」175号(発行人・渡邊樹音)、かなり前のことになるが、「夢座」が毎月のように吟行をしていた時期がある(愚生も奥多摩吟行に一度だけ参加したことがある)。今号には谷中吟行の記事「谷中の”や”」があるが、その吟行の回数をみると本誌の号数より倍以上に多い。「夢座 三六二回 吟行会」とあった。
まずは国立西洋美術館、ロダン作「地獄の門」前に集合したらしい。
春風に鳩舞い降りる地獄門 金田 洌
地獄の門出てアウェーの青き踏む 渡邊樹音
東京藝大通りを抜けた「吉田屋酒店記念館」では、
一斗瓶の太めの尻が春に酔う 照井三余
徳川慶喜の墓では、
奥津城の解説給う木の芽時 鴨川らーら
川上音二郎碑では、
オッペケペー右にねじれる櫻の木 銀 畑二
「ゆうやけだんだん」付近では、
谷根千や錻力ぶらりの初櫻 城名景琳
梅残るひなたぼこぼこ歩く人 佐藤榮市
と、なななか楽しそうである。
また,読みどころをいえば、江里昭彦「放哉はわれわれの同時代人」(【昭彦の直球・曲球・危険球】㊻)。放哉が最晩年、短期間に三千句を書き、一日に2通の手紙を書いたことを「自由律俳句はツイッター、散文ブログだった」と仮定して、そこに切実な承認欲求を見、かつ、食生活の現実を現代人と比べ、以下のように記しているのは、意外に正鵠を射ているかも知れない。
放哉が日記風に記した食生活は、現代のあちこちに散見される光景である。試みに『入庵日記』のお粥を、コンビニエンス・ストアのおにぎり、あるいは菓子パンに置き換えるなら、その途端、われわれの周辺にいる生活困窮者の食事風景が目の前に出現する。栄養がまったく顧慮されない、決まりきったパターンの食生活という点で、放哉の孤独な食事と、現代の生活困窮者のそれが、ぴったり重なり合う。敗戦ののち、日本人が達成した高度経済成長の成果は、いったいどこへ行った?
〈承認欲求〉と〈貧窮〉のふたつの問題が交差する場所に、尾崎放哉は立っている。だから、放哉はわれわれの同時代人なのである。
以下は同号よりの一人一句。
仮面動き滝きさらぎを落ちにけり 佐藤榮市
うちのんはつないでおすえ沈丁花 鴨川らーら
二日目の朝の無言も冬の旅 太田 薫
雪かきに墓地へ 何もせず合掌 照井三余
菜のはなの陸海空へ引き入れり 城名景琳
夜桜の可憐なピンク思わず喰う 金田 洌
春風邪の二人が休む立ち話 江良純雄
朧夜を使い切ったら帰る家 渡邊樹音
オッペケペー前世現世を吹渡る 銀 畑二
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