2017年6月30日金曜日
横山康夫「すすき野にもれなく天は日を与ふ」(『往還』)・・
横山康夫第4句集『往還』(書肆麒麟・私家版限定300部)、収められた句は238句、制作時期は2007年から2015年。そのうちの第二句集『櫻灘』は多行句の作品である。「あとがき」に著者は記す。
句集名『往還』は集中の一句「往還や夕かなかなのひとしきり」から採つた。(中略)
生きてゐれば深い悲しみにとらはれることもあるが、そこに沈んでしまはなかつたのは俳句を書くことでわづかな希望のやうなものを見出してゐたからだらう。俳句を知つて半世紀、今や書くことが生きることといふやうな思ひの中にゐる自分に気づく。
愚生が横山康夫と会いまみえたのは、代々木上原の公民館で行われていた「俳句評論」の句会に初めて出席したときである。句会が終わるとすぐ近くにあった「俳句評論」の発行所(髙柳宅)まで行った。こうして初めて同時代を共にしてきた澤好摩、横山康夫(その頃は孤子と名乗っていたような・・・)と出合ったのだ。十数人の句会だったが、そこで折笠美秋、三橋敏雄、三橋孝子、寺田澄史、松崎豊、三谷昭、牛島伸、大岡頌司など、もちろん髙柳重信、中村苑子にも会った。女性では太田紫苑、津沢マサ子、松岡貞子、沼尻巳津子などにもまみえた(まだ、高校生だった髙柳蕗子にも会ったように思う)。しかし、愚生はしばらくして句会に足を運ばなくなっていた。横山康夫は大学を卒業すると故郷の大分にもどり教師となった。
愚生は、結局「俳句評論」に同人参加することはなかったが、そこで会った多くの人たちの恩恵を被っていることは確かだ。
ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておきたい。
はじめに笑ふ山におほかた名はあらず 康夫
大暑ならむいつか死に水いただく日
橋上の乏しき春燈(はるひ)あまざらし
漁火やいさらいさらに星は消え
てのひらを沈めて浮かす新豆腐
汝が死後の山河吹雪いてゐたりけり
春の虹水の匂ひをただよはす
昼顔の記憶は傷みつつありぬ
カンナ燃ゆ吾子死なしめし日の来たり
父となりたることはまぼろし蟬しぐれ
横山康夫(よこやま・やすお)、1949年、大分県生まれ。
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