2017年6月9日金曜日
可野謙二「母は海漁師魂と枇杷の島」(「風工房」)・・・
レターパックに貼りつけられたチラシ↑
可野謙二、愚生が彼に最初に会った二十歳のころは(立命館二部学生)、さとみ謙作と名乗っていた。
当時、彼はすでに愚生より10歳くらい年上だったように思う。以来、彼に会っていない。ただ、彼は九州の山中でテント生活をしている、と聞いていた。放浪もしていた。そんな折、愚生の子どものために、山の木を切って、牛や馬の玩具を作り、影絵の写真なども贈ってきてくれた。だから小さかった子どもたちは、彼のことを「牛のおじさん」と呼んでいた。
また、どんぐりや椎の実もどっさり、料理のレシピ付きで贈ってきてくれたりした。現地では影絵芝居を作っては、近所の子どもたちに見せていたと思う。
そこは、番外地画廊という名だった。ともかく彼の生活ぶりもまったく知らないのだが、便りにはいつも、俳句(狂句)などがしたためられていた。パロデイ―で「たんぽぽのぽぽのあたりで風にのれ~」「我と来て遊べよヘソのない蛙」などである。
今回の便りには、上関原発を建てさせない祝島島民の会の「御礼とご報告」のチラシ貼りつけ(上掲写真・平成29年3月)のものや、亡くなった土方巽や、牧田吉明のリビア(1980年頃)での写真と一緒に幾つかの影絵物語「不知火のエビガレ」「ひだ民話ーしまった!!オオカミ」などの写真も入っていた。
そういえば、彼と愚生を結んでいた京都・玄文社の厚見民恭もすでに亡くなっている。
~ひだ民話「しまった!!オオカミ」
祭りばやしの笛の音に誘われるように、おなかをすかしたオオカミがふもとに下りてきました。
うむ、「何か食べる物はないか」とあたりをみまわしていると、向こうからひきゃくが走ってきます。
「しめたあいつを食ってやろう」
オオカミは、道のまんなかに大きな口をあけてまちかまえた。
ところが ひきゃくは いそがしいので オオカミなんかにかまっていられません。
みちのまんなかをタッタッタッと かけていってしまいました。
「しまった!! ふんどしをしとけばよかった」とオオカミはたいへんくやしがりました。
俳句はもちろん独学の彼は、俳句をやっている愚生のために、これまでもその折々の句を便りにしていた。
今回の句の幾つかを以下に・・・。
3.11春の心の置き所なし 謙二
山怒る核汚染どうしてくれる
母は海三界一同にひらく海の花
地震降りて闇一頭のいななきを聞けり
汚染水垂れ流すなよ魚怒る
今度初めて知ったのだが、彼の生まれは山奥らしいが、どうやら和歌山県中辺路町内井川というところだという。その彼も、もう八十歳の方が近いはずだ。いまだ医者いらずの生活だとか・・比べて愚生は年齢相応、それなりに持病持ちの薬湯だのみだ・・・,嗚呼。
そうそう、思い出したことがある。今は「豈」同人でもある堀本吟と北村虻曵の方が(両人が俳句を作りはじめる以前のことだから)、もしかしたら愚生よりも可野謙二と付き合いが深く、彼のことをよく知っているかもしれない。
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