2017年11月29日水曜日
安西篤「せりなずなごぎょうはこべら被曝せり」(『素秋』)・・
安西篤第4句集『素秋』(東京四季出版)、著者「あとがき」には、
今回句集の題名を『素秋』としたのは、あるがままの秋という線にまで思いをひそめたいということである。
老子のいう「人は地に法(のつと)り、地は天に法(のつと)り、天は道に法(のつと)る」にならえば、「自然(じねん)」とは「自ずから然り」の状態を指す。これは現在兜太師が志向しておられる方向に通じ、「あるがままの状態」をさらしてゆくものと受け止めた。そのことを「素秋」の題名に含意させたともいえる。意図するところを表現し得たとは思っていないが、せめて師の後姿に従(つ)きたいとは願っている。
とのべているが、その語を含む句で、「金沢武家屋敷」の前書をもつ、
素秋罷り通る両袖に海鼠塀
がある。本ブログ前々日の佐藤映二句集『葛根湯』も忌日の句や、追悼の句が目だったが、著者の歩みきたった年齢がそうさせるのだろうか。『素秋』もそうである。因みに、
山茱萸や雲低き坂花恋忌
花恋忌=金子皆子の忌日(三月二日)
悼村井和一氏
花祭火男面の下に笑み
歌舞伎町浴衣姿の重信忌
屈葬の胎児透明紀音夫の忌
河童忌の新月糸で吊るすなり
時雨忌や木のぼり地蔵遠目して
陽炎より何か出たがる三鬼の忌
放哉忌ふいに欲しがる猫火鉢
いつの間に杭たちならぶ沖縄忌
カフカ忌の郵便物がこぼれ落つ
悼長田弘
南風(はえ)通す茂みのことば深呼吸
悼まどみちお
冬日向赤いビーズの行方かな
舗装せしお歯黒どぶや一葉忌
悼水木しげる
着膨れて重き屁をこきしげる逝く
悼中原梓氏
今も旅の途次にあらずや大旦
完市忌大根の花ならびます
聖家族骨片もなしヒロシマ忌
花札の梅に鶯久女の忌
安西篤は平成29年度の第17回現代俳句大賞を受賞している。本書の帯に金子兜太は、
あるがままの生きざまを人生の秋に重ねて『素秋』の題名に含意させた安西篤晩年の成熟をそこに観る。
と記して賛を贈っている。 思えば、かつて愚生が青年部役員であった頃から、現代俳句協会においては長年にわたる幹事長職を歴任し、その名声が高かった安西篤の世話にいくたびなったことか・・・。
ともあれ、いくつかの愚生好みの他の句を以下に挙げておきたい。
春愁の指のピストルこめかみに
花擬宝珠黙禱はまだ終わらない
春渚海亀はおいらん歩きする
十一面より二面おそろし春彼岸
皇帝ダリア倒れジハードはじまりぬ
ガスの炎(ほ)に小さなゲリラ春立ちぬ
春眠や甲骨文字の亀起きる
終活は白紙のままにかぎろえり
見るべきは見つ海牛の遠まなざし
安西篤(あんざい・あつし)、1932年、三重県生まれ。
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