志賀康第5句集『日高見野』(文學の森)、帯の惹句には、
遠く日高見の野へまで/見はるかす時空に、
万物のオントロギーを探る。
とあった。また「後記」には、
(前略)すでに見たことや感じたことをモチーフとして一句に育て上げるーそういうことを俳句に求めたことは以前から少なかったが、今は全くないと言ってよい。書くことによって初めて、今まで見えていなかったものや感じていなかったことが一句に現れてきたとき、それは作品として残される。
と記されており、集名の由来については、
句集名の「日高見」は、『日本書紀』(景行紀)に、「東(あづま)の夷(ひな)の中に、日高見国(ひたかみのくに)有り。(中略)是を総(す)べて蝦夷(えみし)と曰ふ。亦土地(くに)沃壌(こ)えて廣(ひろ)し」とあり、「日高見」は現在の北上をさし、日高見国は北上川下流、現在の仙台平野の多賀城より北の地域であろうとされている。
本集は、いまでは遥かに封じられた感のある日高見国へ思いを馳せようというのではない。日高見の野へまでを及ぶ透視の深さにおいて、万物の存在の場を開いていきたいと願ったのだった。
と記されていた。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。
蜘蛛の巣が最も揚羽を美しく 康
風穴(ふうけつ)に獣は見せる骨をもつ
川底の石は重さを放(ま)りて在り
草結びおのれ一人の罠となす
丁字草青は音楽となるために
青梅の球の意識の余り落つ
つわぶきか宥し返しの了えどころ
いくぶんは水だと思う春の魚
野の風は生きてきたなとしか言わないが
山向こう見たかのように槿落ち
膝皿貝(ひざらがい)現と夢しか無けれども
志賀康(しが・やすし) 1944年、仙台市生まれ。
撮影・鈴木純一「こころあて深くつつんで沙羅の花」↑
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