2021年6月8日火曜日

佐藤鬼房「たらちねは日高見育ち蕗の薹」(『佐藤鬼房の百句』)・・・

  


 昨日の本ブログ・志賀康句集『日高見野』つながりで、渡辺誠一郎『佐藤鬼房百句』(ふらんす堂)、装幀は和兎。巻末の「詩魂高翔ー成熟の抗して」の中に、


  (前略) (ほと)に生(な)る麦尊けれ青山河

 (中略)〈陰に生る〉の句が成ったときに、鬼房をして、俳人としての自らの命脈は尽きてかまわないとまで言わしめた。しかし、この言葉は、成熟に抗するとした鬼房には、似合わない。同じ「むぎあき」を詠んだ、〈成熟が死か麦秋の瀬音して〉の成熟に死を対峙させる世界こそ、鬼房の魅力なのだが。


 とある。愚生が、最初に、佐藤鬼房の名を認めたのは、たぶん金子兜太『今日の俳句』(カッパブックス)の「青年へ愛なき冬木(ふゆき)日曇る」だったと思うが、明確に句を読むことになったのは、たしか、坪内稔典のぬ書房(もしくは南方社?)版『名もなき日夜』からで、決定的にしたのは、「鬼房の主題は惨たる慰藉」と言った塚本邦雄の『百句燦燦』(講談社)に収載された鬼房の句「縄とびの寒暮いたみし馬車通る」であり、「ひばり野に父なる額うちわられ」である。本書からは、人口に膾炙している有名なエピソードでもある、次の句と鑑賞を挙げておこう。


  会ひ別れ霙の闇の跫音追ふ    『名もなき日夜』/昭和二十六年

昭和十六年十二月二十八日の夕ぐれ時、中国南京城外で、鈴木六林男と初めて出会う。二人は雑誌に載った作品を通して互いに知る仲であった。六林男は、鬼房の所属する部隊が近くにいることを知り、戦線離脱をして会いに行くのだ。〈跫音追ふ〉から戦場の緊迫感が伝わる。滞在の時間はわずか二時間ほど。後に二人はこの時、特別な話を交わしたわけではなかたと語る。六林男は同じ様に〈会い別る占領都市の夜の霰〉と詠む。戦場での最も劇的で、最も鮮やかな出会いであった。二人は盟友であり、生涯のライバルとなる。


 とある。そのライバルも晩年は、鬼房が三鬼の弟子であったかどうかをめぐり、いささかの対立があり、本人同士だけでなく、弟子スジへ、批判論を書かせようとしたこともあったらしい。それもこれも、二人には、生涯の因縁が何かあったのだろうか。今となっては、泉下で、まだまだ・・・と言っているかも知れない。二人の俳人の気質からくる粘着質なある部分が伺われ、今となっては微笑ましいことではあろう。ともあれ、掲載句の中から、いくつかを以下に挙げておきたい。


  夏草に糞なるここに家たてんか  『名もなき日夜』

  切株があり愚直の斧があり

  胸ふかく鶴は栖めりき Kao Kaoと

  鳥食(とりばみ)のわが呼吸音油照り

  壮麗の残党であれ遠山火

  白泉のもの朽縄も啞蟬も

  やませ来るいたちのやうにしなやかに

  除夜の湯に有難くなりそこねたる

  愛痛きまで雷鳴の蒼樹なり

  みちのくに生まれて老いて萩を愛づ 


  佐藤鬼房(さとう・おにふさ) 1919~2002年、岩手県釜石生まれ。

  渡辺誠一郎(わたなべ・せいいちろう) 1950年、塩竈市生まれ。 



       芽夢野うのき「ワルナスビ何故に儚き色なんぞ」↑

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