2014年9月29日月曜日
八木幹夫『渡し場にしゃがむ女』ー詩人西脇順三郎の魅力―・・・
八木幹夫『渡し場にしゃがむ女』(ミッドナイト・プレス)の書名をみたとき、最初に思い浮かべたのは、今はもう手元にはない、ふた昔くらい前の本だったと思うが永田耕衣の『しゃがむとまがり』(南柯書局)だった。あるいは、また加藤郁乎の文をとおしてみる偉大な詩人で、愚生は敬して遠ざけていた詩人が西脇順三郎なのであった。それでも、没後二十年を記念しての西脇順三郎展(世田谷文学館)にも出向いたことはあるのだ。
本書は西脇順三郎についての八木幹夫の講演を中心にした一本なのだが、確かに、愚生には、西脇順三郎という詩人を改めて読もうとする気にさせたのだった。
書名の由来は西脇順三郎の詩行、
渡し場に
しゃがむ女の
淋しき
からである。愚生は俳人の端くれだから、つい、俳句との関連あるところで読んでしまう癖がある。「西脇さんの俳句」という項目が目に入る。そこには、昭和十年頃、萩原朔太郎、室生犀星とともに句会の選者をしていたことも記されている。
珈琲薫るじやすみんの窓あさぼらけ 西脇順三郎
黄金の木の実落つる坂の宿
木の実とぶ我がふるさとの夕べかな
そして、芭蕉の句「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」を引いて、次のように結ばれている。
西脇順三郎の詩や諧謔やユーモアの背後には、無常なるものを見続ける「永遠」の悲しみと淋しさが隠れていると思うのです。
そういえば「さびしさをあるじなるべし」としたのも芭蕉だったなあ・・・・。
ニラ↑
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山羊です。拙著へのコメントありがとう。イクヤーノフや飯島さんに読んで貰いたかった西脇論です。またどこかで。偽ソクラテスより
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