2014年9月3日水曜日

和田悟朗「天上のたましい帯びて純夫来る」・・・



「儒艮」(JUGON)8号(2014.9)は、すごい!と言おう。
久保純夫の個人誌だから、何をしてもかまわないし、何をしようと、久保純夫の自由である。
しかし、今回は42ページの冊子のほぼすべてが久保純夫の作品と文章で覆われている。句は658句。さらに久保純夫が選ぶ林田紀音夫150句選と林田紀音夫論である。いつもの「儒艮」誌だと愚生は土井英一のエッセイを楽しみにして読むのだが、今号のようにほぼ久保純夫一色という方がすっきりしていて、愚生には好ましい(思い過ごしかも知れないが・・)。
久保純夫の658句は、「石垣島句日記2」と題されての約一週間ほどで書かれた作品だ。
最近の久保純夫の多作ぶりには、驚くほかはないが、どこからそうしたエネルギーが湧いて来るのか?一年に数句しか作らない怠惰な愚生とは大違いである。とりあえずは、以下にその一端の想いをみた。

  病によって、自らの、あるいは身近な人の命にかかわる経験を重ねることは辛い。しかし、その中にも幾分かの光明が、俳句に視えることがある。その作者の透明な心情を垣間見るとき、「儒艮」の別の存在意義も想う。支えてくれている人は現世にのみ、いるわけではないと切に感じる。死と生が地続きと想いながら。

   中庸を少し外れし松の芯        純夫
    木蓮の開く加減の光かな
      寺井谷子さんへ
   立葵西から浄き聲届く
     
島に滞在中の久保純夫のパターンは、「朝ご飯、俳句。昼ご飯、俳句ときどきアーチェリー、たまにマウンテンバイクツアー。シャワー。夕ご飯、観劇?俳句、就寝」。だそうである。羨ましいと言えば羨ましい限りである。
今号の「儒艮」のもう一つ、すごい!のは和田悟朗特別作品61句である。

  天上のたましい帯びて純夫来る     和田悟朗

この句には、当然ながら、久保純夫の師・鈴木六林男の「天上も淋しからんに燕子花」が踏まえられていよう。

  夏至落暉瞬間に居りわだごろう        悟朗
  睡りても日は暮れていずさるすべり
  水中に水見えており水みえず
  瞬間はあらゆる途中蓮ひらく




0 件のコメント:

コメントを投稿