どこかで、大庭紫逢の訃を聞いたような気がしていたが、愚生が毎号、楽しみに読んでいた「都市」に連載されていた「現代川柳考」に「遺稿」とあり、やはりそうだったのか、空耳ではなかったとわかった。
最終稿の冒頭は
「セコムしていますアコムも借りてます」の句について杉浦日向子の次の言を引いて記していた。
「何のための生まれてきたのかと問う人もいるが何のためでもいい、とりあえず生まれてきたのだから今の生があり、死があるだけのこと。余計なことを考えるとご飯がまずくなります」。
この句もあまりに他愛ないと言われればそれまでだが、時にはこうした句もあってよいのではなかろうか。
その「都市」8月号に主宰の中西夕紀は、追悼句を寄せている。
悼 大庭紫逢氏
釣り落とす渓の若鮎追はれけり 夕紀
大庭紫逢は昭和22年生まれ。去る6月4日、肝臓癌のため逝去。享年67。哀悼。
山が山恋せし神代初手斧 紫逢
バラ↑
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