2017年12月16日土曜日
亀田虎童子「着ぶくれて抜き差しならぬ旅に出づ」(『日常』)・・
亀田虎童子第6句集『日常』(文學の森)、集名は次の句に因む。
亀鳴くや普通の人の普通の日 虎童子
「あとがき」には、二度の入院手術ののち、
寝たきりと言うわけでもないが十年ほどのベッド生活を続けている。今でも週に一度の医師の往診と訪問看護師の世話になっている。
日本の敗戦後、多くの日本兵がシベリヤに抑留され、厳寒のさ中でも強制労働に従事させられたという悲惨な状況はよく知られている。うろ覚えの話であるが、その日本兵の中に一人の詩人が居り、この過酷な日々を「これが私の日常である」と述べていた。これを読んでしみじみと「日常」の重さを感じさせられた。
と記されている。
ところで、愚生が亀田虎童子に初めて会ったのは、もうずいぶん昔のことだ。八田木枯主催の「花筵有情」の案内をいただいたときだ。花見の季節に「花筵有情」は決まって飯田橋沿いにの土手で一日中行われていて出入り自由の酒宴だった。その場所には「花筵有情」の木札がぶら下がっていた。今でも古い写真が手許にあるが、それには三橋敏雄、中田世禰、松崎豊が写っている。青柳志解樹と初めて会ったのもその会だった。
まだ若かった愚生は、会の帰りに八田木枯、亀田虎童子、もう一人どなたかと車でバーに連れられていき、ママさんは「あ~ら先生、いらっしゃいませ」と言ったので、皆さん常連だったのだろう。そこでは、俳人は誰でもみんな先生と呼ばれているらしい(もっとも、いまは、現俳協の事務所でも、お互いにセンセイと呼びあっているから、まるで学校の職員室みたいである)。本句集には一見どうということのない、それとない上手い句作りで、じつに味わいのある句が収められている。滋味というべきか。
ともあれ、愚生好みの幾つかの句を挙げておこう。
涅槃西風八田木枯目覚めどき 虎童子
夜桜や酒も団子もなき所
天気とは天の気まぐれ寒戻る
忘れたり思ひ出したり名草の芽
白玉や他人事なる立志伝
百薬の長然る可く暑気払い
色褪せるまで生きられず揚羽蝶
卒寿なれば
百に十(とを)足りぬと言うて柿を剥く
会はざりし人への悼句月に雲
裸木のなんぢやもんぢやは普通の木
むかしからありし路地裏一葉忌
老い止めの薬のなきや初薬師
亀田虎童子(かめだ・こどうし) 大正15年埼玉県生まれ。
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