2017年12月7日木曜日
江田浩司「手にそっとふれてゐるのはきのうから消えずに残る夕日だらうか」(「扉のない鍵」創刊号)・・
創刊の挨拶に、文藝別人誌「扉のない鍵」とある。同人誌ではない別人誌なのだ。編集後記に以下のように記されている。
◇「扉のない鍵」は、[文藝別人誌]という聞きなれない名称の雑誌である。私は当初、本誌に集う者が、普段とは異質な創作を行う場として別人誌を位置づけていた。また、同人誌のような関係性をなるべく無化した上で、他者による競演を意識したところもある。しかしそれは、あくまでも表層的な意味づけにすぎないだろう。各別人のテクストが、本誌にどのような本質を付与できるのかが、本誌の生命線である。
編集人は江田浩司、発行人は[TNK]、発行所(発売・北冬舎)は江田浩司方、[別人]三十人によって創刊された雑誌である。各自のジャンルの壁はないとあるが、小説、エッセイ、評論などもあるものの、印象は、やはり短歌の別人誌の感じである。特集は「扉、または鍵」にまつわる(題詠)創作に加えて、加部洋祐歌集『亞天使』をめぐる「闘論会」ライブ版が約50ページを占めている。
別人のなかには愚生の既知の方も何人かいらっしゃる。かつて「豈」同人だった生野毅もいて、「蛭化」という詩を寄せている。冒頭は、
一枚の大きな扉は おお空に吊るされ 身じろぎもせず 時に微風にたじろぐ
から始まる詩篇である。ともあれ、以下に四人の方の各一首を挙げておこう。
ひろいそらどこまでもひろい春のそら(とくに何もないな、なにも) 加部洋祐
どこまでが季何のからだか例ふれば鼻腔の空氣、胃の中の柿 堀田季何
歳月はここにも滲む 玄関のだんだん回りにくくなるシリンダー 生沼義朗
扉なき世界みだらに放たれて 排水溝の孤児(みなしご)阿修羅 玲はる名
★閑話休題・・・
江田浩司には大冊の近著『岡井隆考』(北冬舎)がある。巻末の岡井隆自筆年譜抄や岡井隆著作一覧、岡井隆研究史などだけでも読み応えがある。論考はさすがに精緻を極めている。ただ、愚生が岡井隆を読んでいたのは、国文社・現代歌人文庫『岡井隆歌集』までで、いわゆる岡井隆失踪後は『鵞卵亭』『人生の視える場所』までである。その後は、ほとんどその営為に接してこなかったので、本著によって改めて、岡井隆の詩的営為について蒙を開かれる思いだった。当時、並走していた塚本邦雄も魅力的だったが性に合ったのは、岡井隆の方だった。尊顔を拝した最後は、「現代俳句シンポジウム」の企画で、健在だった三橋敏雄との対談の折り、現在、日野草城の評価が低い、もっと見直されてよい俳人だと語っていたのが印象に残っている。
江田浩司(えだ・こうじ)1959年、岡山県生まれ。
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