2017年12月6日水曜日
石寒太「いろいろいろいろはもみぢのちりぬるよ」(『風韻』)・・
石寒太第7句集『風韻』(紅書房)、栞には宇多喜代子、末尾近く、
石寒太の俳句には、夢や幻を追うような難解な嘘がない。過剰な装飾や知識や蘊蓄の偏重もない。自身が生きて、見て、感じたところから自らの内部の意識とことばに近づいてゆく。ことばと接するのにもっとも至難である「生」や「死」が、ごく自然に句の中で無理なく自分のテーマとして表現されているのも、他人の考えや他人のことばではなく、石寒太自身の思い、石寒太のことばで表現さているからであろう。
と述べている。句は幅広いが、楸邨の弟子というだけあって、師にまつわる句、楸邨の句を思い起こさせる句もおおくある。とりあえず、楸邨の名を刻む句を挙げてみよう。
七月の三日楸邨忌を修す 寒太
楸邨の供華はなやぎし梅雨墓参
楸邨の謎めく一句去年今年
楸邨のことば反芻春の風
楸邨の星出るころぞ木下闇
楸邨忌前日鰻焼け焦げし
楸邨の句碑にもひとつ螢来よ
楸邨の海月のくらり沈みけり
楸邨のことばのちから茨の實
楸邨の怒濤きらきら夏至の朝
楸邨の顎の黒子や十二月
著者「あとがき」には、
『風韻』とは風趣、少しでもこころ豊かに過ごしたいとのささやかな願いからつけたが、果たして如何であったろうか。
とある。「炎環」30周年おめでとうございます。愚生が、石寒太に最初に会ったのは、現代俳句のシンポジウムの打ち合わせか、何かで東中野で坪内稔典らと一諸だったとき、毎日新聞社の名刺に石倉昌治とあったのを鮮明に覚えている。やはり、30年以上前のことのような気がしないでもない。
ともあれ、愚生好みで、いくつか句を挙げておきたい。
病む馬のたてがみへ降り流れ星
戦争法案通過す四万六千日
つくつくほふしつくつくぼふしつくしけり
瓦礫二年更地三年赤蜻蛉
飛花落花非核宣言都市真昼
悼・長谷川智弥子
つばくらめ風のいのちと繋がりし
佐藤良重句会へ
うららかや句座に着きたる車椅子
石寒太(いし・かんた)1943年、静岡県生まれ。
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