2018年8月13日月曜日

内田正美「人間の名前が書き殴られた壁」(「鹿首」第12号)・・



「鹿首」第12号(鹿首発行所)の特集は「イメージの血層」、地層にかけた血層、少しおどろおどろしい感じがするが、これが「鹿首」(詩・歌・句・美)の特徴というか趣向である。冒頭のアーティスト・インタビューは山内若菜「被曝牧場のペガサス・そしてヤンバルクイナ」。愚生は不明にして初めて名を留める人であるが、表紙絵になっている作品やインタビューの内容をうかがうと実にエネルギッシュであり、

 若菜さんの作品というのは、実在の世界を実際に観て、体感しながら、その背後に隠されている不可視なもの、未来への不安や希望のようなものを捉えて、何かメッセージとして伝えようとしている。それは写実という方法ではないのですが、強烈なリアリティーを表現している。

と、編集部が名付けたように、「『侵食』とか自然の持っている生態系の循環性とか、自然にしても命あるものにしても、実在の底部で深く繋がっているイメージを捉えようろしているのです。それを「イメージの血層」という言葉で表しました」ということになるのであろう。
 また、「鹿首」の毎号の論のなかではいつも、高柳蕗子のデータベースを駆使した短歌の読みに感銘を受け、刺激をうけているのだが、今号も期待を裏切らず「青が世界を深読みさせる」で、具体的に、作品に即して記された「青」にまつわるもろもろの魅力に興味をそそられた。長大な論の冒頭には、註のように付された書き出しがある。

  本稿は短歌における「青」という言葉の考察であり。青い色そのものと、言葉の青を区別して表記する。
 色そのものは通常の表記とし、強調や引用の際には「青」と書く。それに対して言葉の青は、〈青〉と表記する。
 また、〈青≒△△〉は、「〈青〉のイメージが△△と連想脈で結ばれている」ということを意味する。青以外の言葉も右に準じた表記をする場合がある。

とあり、「おわりに」には、

 本稿を書くにあたって、〈青〉の短歌を一気に大量に読んだ。それらの歌全体が私に深読みを促した。その深読みをまとめたのが本稿である。
 青と緑は、多くの言語で混用からスタートするそうだが、それを色の識別の話と捉えると言葉の本質から外れると思う。言葉の変化とは、人々の言語活動による新たなイメージや概念の変化を反映するものだったのだ。

と結ばれている。ともあれ、同誌の句作品から以下に挙げておこう。

  湖は紫紺の泪秋の馬       西川徹郎
  いちりんの瑠璃光世界花すみれ  井口時男
  棺から投げ返される狂い花    内田正美
  はまぐりのふたみの椅子に雲の影 奥原蘇丹
  勿忘草末摘む指に水の紋     三沢暁大
    あんきも×ひやおろし
  遠くしか見えない窓へつるします 八上桐子
  枝蛙葉に包まれて夢見顔     翁 譲
  山里の誰そ彼はやし柿黒き    風山人
  足跡は真直ぐにならず春の土   星 衛
  菩提樹はいのちの木霊明日香村  研生英午



★閑話休題・・・・
上掲写真は、府中市開催、被曝二世のアオギリの発育写真展の案内(於*府中駅南口、ル・シーニュ6F,府中市市民活動センタープラッツ会議室、~8月15日)です・・・



           撮影・葛城綾呂 アゲハの羽化↑

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