多くの人が初顔合わせの2・2トツゼン府中句会?が、府中市市民活動活動センタープラッツ6F第4会議室で行われた。いわゆる俳人協会系VS非俳人協会系の激突というには、いささか憚れるが、一応、何でもありの句会、しかし、そこは定型のフィールドで老若そろえての勝負となった。ただ、愚生は相変わらず、句会の探知レーダーにかからない?低空飛行だったのである。それでも有意義、かつ楽しい句座であったのは言うを俟たない。
以下に一人一句を挙げておこう。
凍星や剥落しつつ征く野犬 西田克憲
なみになみふれてねむたき恋人よ 表健太郎
紫雲英野のひかりは盥母がゐる 鳥居真里子
春泥や
早も夕べの
煮凝るや 酒巻英一郎
その影の向かうへ散りて山桜 椎名果歩
着ぶくれて老母ひな鳥となりをる 福田鬼晶
轢死ありこのお降りの片隅に 今泉康弘
権現へ冬鹿の糞踏みちらし 白石正人
白の
石の
正しき誠
人に春 大井恒行
★閑話休題・・堀江実「三人の『K』と流刑地へ」(「あいだ」245)・・
「あいだ」246(『あいだ』の会・月刊2019年1月2日刊)、「K」とは風倉匠のことである。そのKは、(『機關12 風倉匠特集』、海鳥社1981)と(『時計の振子、風倉匠』、佐野画廊/書肆山田。1996)と『風倉匠 さわれる原風景を探す』展カタログ、大分市美術館、2002』)とでわずかな記述の差違がある。それには(以下は、大分美術館のカタログのものを引用する)、
1973(37歳)11月北海道・網走に移り住み、カフカの『流刑地にて』の映画化を試みる。2年間続けるものの結局完成には至らなかった。
と記されている。そこに拘ったわけを堀江実はドキュメンタリー映画『首くくり栲象の庭』の編集作業の折り、首くくり栲象から「上京して最初に出会った芸術家として」何度も風倉匠の名を聞かされた、という。そうして完成した映画は「栲象さんと浅からぬ縁のある中野ZEROホールでおこなった」(2016年・堀江実)のである。
風倉さんはそれでもなお『流刑地にて』完成の欲望を絶やさなかったとのことだが、ついに完成させることなく、2007年にこの世を去った。
2019年現在、未完成となったその映画は、風倉さんの多くの作品とともに大分市美術館に保管されている。フィルムは未だ一般公開されたことがなく、今後もその予定はないという。私にとっては、まるでカフカの『城』(1926)のように、たどり着こうにもたどり着けない目的地である。(中略)
風倉さんを通じて私が最終的に目指すのは、カフカの小説『流刑地にて』の劇映画化にほかならない。そして、その具体的な第一歩は、処刑機械をつくることでなければならない。(中略)
そしてそういった未知のひとつ、今回の本丸と言ってもいい北海道・網走へと、私はまもなく旅立つ予定である。イニシャル「K」である風倉、カフカ、首くくり栲象を同行者として、真冬の流刑地にて、雪原の彼方に私自身が何を見出すのか。何を掴みとることができるのか。その旅を一区切りとして、いよいよ私は処刑機械の製作へと動き出すだろう。
とあった。
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