2019年6月1日土曜日
石部明「軍艦の変なところが濡れている」(『慧光ー〔報恩〕のエクリチュール2』より)・・
森山光章評論集『慧光ー〔報恩〕のエクリチュール2』(不虚舎)、前回の『爲説ー〔報恩〕のエクリチュール』に続く一本である。書下ろし評論集。句集、小説、詩集など14編を収載。森山光章には、すでに多くの著作があり、これで20冊目だ。他に個人誌「不虚」を発行している。小説家・帚木蓬生は実兄。「後記」には、
表題は、『妙法蓮華経・如来壽量品』の「慧光照無量」から取った。これらの文章は
、前の評論集『爲説』と同じく全て〔報恩〕のエクリチュールである。感謝のみがある。それらの〔出会い〕によって、わたしがある。〔終わり〕の闇(・)に、〔梅花〕が匂っている(・・・・・)。
と記されている。自己宣伝めくが、愚生についての批評を、これまで長い間、余り目にしないので、嬉しさも手伝って披露する。冒頭に「曇天もまたかぎりなしー大井恒行句集『風の銀漢』を読む」が収められている。その中に、
夏石番矢『真空律』は一九八六年、冨岡和秀『テレパッスウル』は一九八ハ年に刊行されている。八十年代後半(・・・・・・)は、〔現代俳句〕にとって、最も有意義な時代(・・・・・・・)であった。高柳重信・加藤郁也以後の(・・・)の「新たな領域」の開示(・・)が達成されている。〔俳句〕に於ける一つの〔頂点〕に、達している。未(いま)だ、この〔頂点〕は越えられていない(・・・・・・・・)。やはり、そこには錯誤(・・)があるのだ。(中略)
天心の浜薔薇(はまなす)に朋たてこもる
春雨のふれば十年水漬く旗
起(た)て秋風、一句半解の情(こころ)をいいて
共産主義は、〔本有(ほんぬ)共産主義〕がある。しそれは、マルクス・レーニン・毛沢東等の思想とは、関係ない(・・・・)。それは〔浄土〕の建立(・・)の思想の謂(いい)である。〔詩人〕は、いや〔人間〕は、この〔本有(ほんぬ)の共産主義〕を志向する(・・・・)。(中略)〔佛〕の説いたものが、この〔本有(ほんぬ)共産主義に他ならない。
「旗」は、〔終わり〕の闇(・)に、厳然としてはためいている(・・・・・・・・・・・・)。〔魔(タラズ)は、砕滅されることを待っている。〕
と述べられている。この他にも林桂句集『銅の時代』、江里昭彦句集『ラディカルマザーコンプレックス』、西川徹郎句集『町は白緑』、長岡千尋歌集『天降人(あもりびと)』、倉本朝世句集『硝子を運ぶ』、「〔終わり」の蓮ー土谷香寿子の詩作品を読む」などが収められいるが、「如蓮華在水ー夏夕輝『露之丞絵巻』を読む」から、森山光章にしては珍しく、通俗譚を記しているので、それを引用しておきたい(貴重なことだと思うので・・、原文旧字)。
(前略)松尾氏との交流は、長くて深い(・・・・・)。松尾氏との交流は、創価学会・文芸部の活動を通してである。文芸部の活動は、毎月、福岡市の会館で実施されていた。選挙(法戦)中も実施された。〔文学は、法戦とは関係はないのだ〕。そこには、九州文芸部部長、玉井保人氏の深い配慮(・・・・)があった。
年に一回、文芸部の研修旅行が実施された。場所は、「九重」が多かった。読売新聞で評論家の秋山敬氏、共産党の奥様をもつ三又喬氏、俳人の山代あづさ氏、井上副会長の奥様・井上みのり氏、北原白秋と同族の評論家・原達郎氏、生化学者で詩人の日高三郎氏、三十歳若い女性と結婚した小説家・古岡孝信氏、三島由紀夫の秘書(愛人)の小説家・福島次郎氏、小説家・村田喜代子氏が参加された。「九重」は「長湯温泉」が多かった。そこでは、福島氏の三島由紀夫との「愛の関係」を、朝まで聞かされた。そして古岡氏は言った、「九重では、猿と山頭火が入った温泉は残っている」と。それは、〔帰らざる日々〕であった。
わたし達は、〔九重の誓い〕をはたした。そこには、〔終わり〕の闘争(・・)のみがあった。有難うございました。
と結ばれている。ともあれ、各章から一句、もしく一首を挙げておこう。
愛しをり狂者としての朔太郎 林 桂
乱暴しないで 別の乱暴をして 江里昭彦
水底の砂さらさら流れる行商(あきない)の母よ 来 空
便器を河で洗いしみじみ国歌を唄えり 西川徹郎
結氷期
のっぺらぼうを組織せよ 高原耕治
人麻呂の慟哭(なげき)を今に聞くごとし 淡路島影波しぶく見よ 長岡千尋
人類の滅びを待てる万物の呪言聞きつつもうぢき桜 佐古良男
かたっぱしからあざみぬかれてゆくひつぎ 倉本朝世
天皇家に差し出す良質の生殖器 渡辺隆夫
性愛はうっすら鳥の匂いせり 石部 明
森山光章(もりやま・みつあき) 1952年生まれ。
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