2019年6月30日日曜日

藤原月彦「致死量の月光兄の蒼全裸(あおはだか)」(『藤原月彦全句集』より)・・



『藤原月彦全句集』(六花書林)、著者「あとがき」に、

 (前略)この本には藤原月彦として上梓した六冊の句集が完本収録されている。
『王権神授説』と『貴腐』は深夜叢書社の社主の齋藤愼爾氏により刊行していただいた。『盗汗集』は端渓社の大岡頌司氏にお願いした。そして『魔都』シリーズの三冊は宮入聖氏の冬青社から出してもらった。「黄昏詞華館」本編に発表した俳句はこの『魔都』三部作にほぼ収録されている。当時はこのような色合いの作品をつくっているのは私しかいなかった。もちろんBL俳句というジャンルもなかった。元号でいえば昭和の末期の頃に、こんな俳句がつくられていたというアリバイとして、この本を出してもらうことになった。

 とある。月彦こと藤原龍一郎は、現在は、「里」で媚庵の俳号で句を発表しているが、他誌では、龍一郎名でも発表している。かつて、彼が句作を再開して以後、俳号の「媚庵」について尋ねたことがある。その折りは、ボリス・ヴィアンの『日々の泡』ですよ・・と答えられた。100巻続くはずだと思われた幻の「魔都」も、当時は、実現の射程に入っていたのだろう、と期待していた。が、あっと言う間に、本来の立ち位置である短歌の世界に軸足を移して行った。
 藤原龍一郎は慶應大学に入学したものの、早稲田短歌会に入りたくて、翌年、早稲田大学を受験し直して入学したくらいだから、ある意味、短歌こそイノチだったのだ。しかも、それは、時代をよく担っている短歌だった。


      「豈」創刊号(FIRST OR LAST)↑

 巻末の藤原月彦略年譜にあるように、攝津幸彦とともに「豈」の創刊同人、そして、今は無き「未定」の創刊同人でもあった。じつは、それは愚生と同じである。昨年、大本義幸を喪ったので、いまや、「豈」の創刊同人は、愚生と藤原龍一郎と二人だけになっている。創刊は1980年、16名による船出だった。今年でちょうど創刊39年の同人誌である。結社誌でもないのに、よくぞここまで続いたものだ。
 遡ることほぼ45年前、彼の第一句集『王権神授説』は、忘れもしない東中野のとある喫茶店で彼から直接手渡された。たしか詰襟の学生服姿だったと思う。以来、藤原月彦は意中の俳人となった。その「後記」に、月彦は、

 夢と夢のあわいのかそかな覚醒の刹那、狂気のように襲ってくる言葉の奔流。ぼくは、俳句形式というフレイの剣をとってたちむかい斬りむすんだ。その時飛び散った悪夢の破片こそがぼくの俳句作品なのである。

 と言挙げしている。青春の香気、才気が香る。本全句集には、栞、跋文も収載されている。中島梓「貴腐・跋」、菊池ゆたか「魔都・栞『俗と聖のからくり』」、仙波龍英・栞『百恵許せよダンプもきたぞーあるいは松鶴家千歳(このひと)を見よ』」。その仙波龍英は言う。

(前略)活字が残るという妄想を抱き暮らしている一団が、そのことを誇り(・・)とさえして存在する。

 という。身の毛もよだつような怖ろしい現実である。だが、これもまたいささか口調が厳しすぎるかもしれない。おだやかな言い回しに変えよう。ニッポンにはゲンザイでも、(後略)

  ともあれ、本集より、いくつか愚生好みに、気ままに句を挙げておきたい。なぜなら、どの一句をあげても、月彦の句だから。あとは読者が好きに選べばいい。

  弾痕疼く夜々抱きあう亡兄(あに)と亡兄(あに)    月彦
  全山紅葉徒手空拳の正午(まひる)かな
  絶交の親友(とも)には視えぬ水瓶座
  やが雨季街に情死の噂冴え
  生国の山河は死後も日雷
  日も月も流れて天の澪標(みをつくし)
  死者とゐて空気濃くなる麦畠
  中世の春も土星に環ありしか
  男装の美少女しやがむ草いきれ
  裏庭のカンナ淫らに變聲期
  孫太郎蟲這ふ戦前の新聞紙
  鬣に雪ふりナチス少年隊
  佐川一政的欲情の旱梅雨
  人間に化ける百草百千鳥
  桜散る梅沢富美男飛ぶ闇へ
  肉弾の夜ごと夜ごとの世紀末
  男根に朱唇女陰に日雷
  有頂天時代よ春よ永遠よ
  亀鳴けり女装の兄を羨めば
  帝都晩秋百鬼夜行ぞ面白き

 藤原月彦(ふじわら・つきひこ) 1952年、福岡市生まれ。




★閑話休題・・秦夕美「ピエロ来るひといろ欠くる虹まとひ」(「GA]83号)・・・


 「豈」同人つながり・・、藤原月彦と秦夕美はかつて二人誌「巫朱華(プシュケ)」を出していた(1983~1988年まで9冊刊行)、略年譜によると「言葉遊びの限りをつくしたという実感がもてる活動をした」と記されている。その通りで、俳句形式のなかで、言葉を読み込んだり、形を整えたり、本全句集にもあるが、一行の文字数で全ての句をそろえるなど、果敢な試みだったように思う。
 「GA」は秦夕美の個人誌である。言葉を自在にあやつる手つきは、当代一といってよいかも知れない。小冊子ながら、俳句、短歌、エッセイ、それぞれに魅せられる。現在は蕪村句についての連載もある。表紙はいつも秦夕美邸の庭の草木をコピーしたものを使われている。本号作品は、(レッドバロン」赤い男爵からランボーの『母音』の色と公候爵子男の爵位を組み合わせて十句。「母音の夢」とした)とある。

  Amerikaへゆくつもりなし涅槃西風     夕美
  青すゝき男爵某にわたす銃
  さてもさて十三月の小石かな
  ぼんぼりにかろがろと夜のきたりけり
  帝都にはあはぬ手鏡さみだるゝ
  
  たそがれの色こばみつゝまとひつゝ鳥とも蛇ともならず息する
  あらあらと影伸びくる雑草を刈るや刈らずや四月一日
  色即是空などとは言ふな今生は五情のまゝに流れ過ぎゆく



 

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