2019年6月5日水曜日

髙柳篤子「魚も 猫も わたしも 子供も こんど鳥となる」(『髙柳篤子作品集』)・・

 

 岩片仁次編『髙柳篤子作品集』(鬣の会発行、夢幻航海社・夢幻航海文庫、限定500部、1000円・)、内容は、俳句、詩、散文が収められている。その「書信抄+解説風略伝」は岩片仁次。解説に林桂「髙柳篤子ーそのかがやくことば」。その略伝・岩片仁次は、

○本名は山本篤子、はじめは山本緋紗子と称し、ついで山本あつ子、高柳篤子。高柳重信と離婚後、広岡まり。本作品は収録の大部分は、高柳篤子期の稿である。(中略)
○生年は昭和五年。戦後最初の住所は東京都港区青山北町五ノ二四東四。
○平成晩年、八十八歳。病めりけり。
(中略)
▷昭和二十八年六月、婚姻届け出。十一月、蕗子誕生。
▷三十三年、「俳句評論」創刊。発行所・代々木上原、中村苑子方。苑子は明治四十三年生れ、但し大正二年生れと詐称した。重信を求め戸田を徘徊することあり。
▷三十六年、暮夜、篤子、蕗子を連れて高柳家を去る。五月、協議離婚成立(重信、後日離婚は本意に非ずという)。篤子、頼る身内なくしばしば困窮す。
▷三十八年冬、髙柳郁子夫妻(旧姓・千秋 重信媒酌人)の仲介により、蕗子戸田高柳家に戻る、叔母美知子預り、篤子、失意のままニューヨークに去り以後、画架・広岡まり。

 と記している。また、解説の林桂は、

 今回の岩片仁次編著の「書信抄+解説風略伝」で二人の出会いを知ることが出来るが、それがいつのことかはっきりしない。戦後の闇市の橋本夢道、石田波郷の出会いに導かれ、富沢赤黄男を訪ね、その席で高柳重信と出会っている。その時を篤子は、「十六歳の私」と証言している。今回の略歴では昭和五年生まれ(岩片仁次編の『重信表』では昭和六年生まれ)なので、昭和二十一年のこととなる。(昭和六年生まれでは昭和二十二年)。しかし、夢道、波郷の言葉として赤黄男が「詩歌殿という雑誌を出している」ともある。「詩歌殿」は昭和二十三年からの刊行である。(中略)
 この二つを照合すれば、昭和二十三年が有力となろうか。篤子十八歳のときとなる。(中略)
岩片仁次は『重信表』において、篤子を昭和二十六年の「黒弥撒」参加からとしている。重信との関わりではそうなるかもしれないが、その出自は最も若い富沢赤黄男門というべき存在であったろう。(中略)
 今回の略年譜で、篤子は昭和五年生まれとあるので、姉弟と訂正するべきかもしれないが。篤子の喜びも悲しみも、岩片にはほぼ我がことである。岩片は常に篤子の味方である。
 しかし、その根本には、篤子の才能に対する敬意があったであろう。同年代の少女の俳句や詩の言葉が、岩片にどれだけ眩しかったか想像できる。その印象は、今なお岩片の中で生き生きと残っている。それが岩片が本集を纏めるエネルギーとなっている。

 と記している。ともあれ、以下に本集より、いくつかの句と、詩編(フーちゃん「椿」昭和三十一年四月)の末尾を紹介しておこう。
  
  陽があたたまるとさびしがる耳        篤子
  皿あかくメロンの肌のふるへしか
  海つてすごいやわたしより青いや
  空から こぼれるネックレス あたしがさわると雨になる
  ただ ラの音を パンと弾く だんだら縞の鳥が飛ぶ
  「どうだって言うのさ」ドボンと錆びた郵船会社
  次は年寄り、次の次の次に泣くのが あたしの番  

    フーちゃん

(前略)
それから
フ―ちゃんは 世界一みたいな アマンジャクになりました
こういう訳を 年雄ちゃんだって
 小(ちい)ばあちゃまだって しらないでしょう 
だから
みんなは悪い子だ! キツイ子だ! って
一日に 幾度も 叱るのです
(中略)
 フーちゃん
いまに ママ子ちゃんみたいに 大きくなって
オシッコも お靴はくのも ひとりで出来るようになったら
 (中略)
 本当は フーちゃんは アマンジャクぢゃないんですよ!って
 小さな聲で おしえてあげましょうね







★閑話休題・・林桂「多行形式への道程」(「鬣」71号)・・


「鬣の会」林桂つながりで、「鬣」71号の特集は、「第17回 鬣TATEGAMI俳句賞」
の『福田甲子雄全句集』評に深代響「言葉が言葉を渡るとき」を、水野真由美が「鞄の中身ー四ッ谷龍『田中裕明の思い出』」を評している。その他の読みどころは、新資料・高柳重信未発表原稿「コラアジュ」、そして、特別評論として林桂「多行形式への道程」が出色。多行表記の俳句の歴史と考え方をたどると同時に、多行形式とは俳句にとってどのようなものかを緻密に論じている。とはいえ、個人句集として、文字通り多行の俳句を世に問うたのは、髙柳重信『蕗子』の上梓、戦後(昭和25年)まで待たなければ、出現しなかったのである。この意義はかぎりなく大きいだろう。
 また、「転載コラム」には、いまでは忘れ去られている論を掘り起こして掲載している。河東碧梧桐「もう君らの手にはないー現代に与ふる書」(「讀賣新聞」昭和八年四月二十八日」、渡邊白泉「新興季論出でよ」(「天香」第2号・昭和十五年五月)、いずれも貴重である。

る。

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