佐藤文子第一句集『しづかなる森』(コールサック社)、帯文は森川光郎、それには、
セーターの袖よりたたみ海しづか
一句を静かに述べて、一句のどこかに波乱を生む。作者の作句の骨法だ。「セーターの袖よりたたみ」と静かに述べながら、団円をどこに据えようかと窺う。その団円の選定、「海しづか」に独自の視点がある。文子俳句の魅力はここにある。
と記されている。また、懇切な跋文の永瀬十悟「木洩れ日の音楽」には、
江藤文子さんは、須賀川市の俳誌『桔槹(きっこう)』の仲間である。桔槹は今年(二〇二二年)創刊百周年となるが、この間に地元に根差した俳誌として様々な活動をしてきた。俳句を始めた頃若かった私たちは、ここまでその多くの仕事を一緒にやってきた、いわば同志である。(ここからは普段の「文子さん」で書かせていただく)
文子さんが俳句を始めたきっかけは、桔槹の選者で須賀川市の博物館の館長だった故高久田橙子氏から「あんたは江藤磐水の孫なのだから俳句をやりなさい」と言われたことによる。江藤家は江戸時代から続く医者の家系で、磐水は文子さんの祖父。大正時代に当時の川東村(現須賀川市)で医院をしながら「木枯吟社」という俳句会を開いていた。文子さんの父は医者のかたわら地域の楽団を立ち上げ、自身はマンドリンを演奏するなどして文化活動に力を注いだ。
現在、ご主人の隆夫氏も医者の仕事とともに、ヴァイオリンを演奏し、郡山市の管弦楽団の中心メンバーである。このように文子さんの身の周りにはいつも俳句や音楽があった。
いつまでも俳句青年青嵐
文子さんが、師であり桔槹代表の森川光郎氏を詠んだ句である。光郎先生は今年九十六歳となったが、いつも若々しい俳句を作り私たちを驚かす。
とあった。そして、著者「あとがき」の中には、
須賀川市は、「おくのほそ道」の旅で芭蕉が七日間逗留した地で、それから三百三十年余連綿と俳句の盛んな所です。そのようなことで私は長年、地域の小学生の俳句に関わって参りました。いくつかの小学校の俳句指導、夏休み・冬休みの俳句教室、また児童クラブへの出前教室などはライフワークと思っております。
ともあった。本集名に因む句は、
ヴァイオリンはしづかなる森月渡る 文子
である。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。
灯台の白ともちがふ夏鷗
詩ひとつ虎尾草の白に触る
梅雨鏡かたちにならぬものばかり
三伏の泡ひとつ抱く水平器
枯草の匂ひの兎抱かれをり
クレッシェンドデクレッシェンド青山河
囀りの一音上に身を置きぬ
朝ぐもり人は表を見せてくる
ととのはぬもの月影の中にかな
匂ふまで水に佇み秋惜しむ
牡丹供養尽きるまで色惜しみけり
江藤文子(えとう・ふみこ) 1947年、福島県須賀川市生まれ。
撮影・鈴木純一「鷹けっして鳩のとなりにすわらんよ」↑
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