2015年8月21日金曜日
三橋敏雄「窗越しに四角な空の五月晴」・・・
遠山陽子「弦」38号は、先般上梓された句集『弦響』の特集である。
角谷昌子、永島靖子、前田弘、春田千歳、安西篤、栗林浩らが執筆している。他に高橋龍と中村裕のエッセイ。
ともあれ、最後に「三橋敏雄を読む(1)」と題して、まず16句が取り上げられている。
「窗越し」の句については、
十五歳の少年の悲しみを覗き見るような一句だ。更に言えば、視覚対象物は焦点を絞って切り取ることによって、把握はより強くなるという俳句の骨法を、敏雄が本能的に心得ていたことに驚かされる。(昭和十年 十五歳)
と述べているが、編集後記によると、どうやら「敏雄百句を読む」の構想らしい。「通読するとミニ敏雄論になるようにしたいと思っている」と心意気が書かれている。遠山陽子の情熱に敬服の念を禁じ得ない。
つれあひだつた男施設で死にき春 陽子 『弦響』以後
老人に老人の夢金魚玉
いなびかり父も柱も傾きぬ
晩年がもつとも長しちる公孫樹
2015年8月16日日曜日
本日は山本紫黄の忌日
※テスト投稿のため記事内容ともに北川美美が投稿。
大原女風にサーフボードをかづく夕 紫黄
私は、そのころ大阪府下の香里園に住んでいた三鬼の意をうけて、翌三十一年の春先の或る日、正午過ぎに、前記支部の月例句会場(注:「断崖」東京支部)を訪ね当てた。私と他の参会者たちとはもちろん初対面であった。その日のことか、あるいはその後のことか、もはや記憶はさだかでないが、私と同様、病院外部からの出席者数名の中に、今は本句集の著者である山本紫黄がいた。
夕刻、散会後、紫黄とは帰る方向が同じとしれた。最寄りの小田急線千歳船橋駅から、一応、新宿へ出ることとした。その車中、私は紫黄に、これからチョット一杯イカガデスと言ってみた。彼はすこしもためらわなかった。そのへんの印象だけはまことに鮮明である。
私が知る前の紫黄は、昭和二十四年に、父、山本嵯迷の勧めに従い作句を開始。ゆかり深い「水明」に拠って長谷川かな女に学んでいたが、傍ら西東三鬼の俳句に魅せられ、昭和三十一年に入ってすぐ、前記の「断崖」東京支部句会にも顔を出すようになったのだという。そして「断崖」本誌の三鬼選句欄に投句をはじめるのだが、このことは余人の場合はいざ知らず、「水明」直系の紫黄の身ともなれば、非常な決意を要したにちがいない。思えば心機一転して改めて自身の俳句の方途をさぐろうという志の問題に帰結するにしても、なみなみならぬ態度であった。
(山本紫黄と私/三橋敏雄) 山本紫黄第一句集『早寝島』
大高弘達『西東三鬼の世界』より
2015年8月15日土曜日
三橋敏雄「戦争の個個の残像流れ星」(信濃毎日新聞平成9年8月15日)・・・
三橋敏雄自身が切り抜いた新聞のスクラップ(夫人の三橋孝子さんからお預かりした)を眺めていたら、偶然にも本日付け(8月15日)の信濃毎日新聞の村上護「けさの一句」欄に出くわした。その句が、
戦争の個個の残像流れ星 三橋敏雄
である。今年は戦後70年ということもあって、ジャーナリズムはこぞってその特集を組んでいる。が、しかし、村上護の言を借りれば「それを語る体験者もだんだん少なくなってゆく。当の個人においても体験は風化する。生々しい戦争という大テーマは問題になりにくく、残像のごとき体験談ばかり。それもいつかは消失してしまうのだ。流れ星のごとく、あれよあれよという間もなく燃えつきてしまう。そんなむなしさを詠めば抜群、「峯雲はみな新しや小日本」「爾来五十余年無駄死口惜し戦友忌」の作など」(村上護・作家評論家)とするどい。
こう記した村上護も亡くなってはや二年が経とうとしている。
三橋敏雄にはほかに昭和20年8月2日未明の八王子市の大空襲を契機に詠んだといわれる「いつせいに柱の燃ゆる都かな」の句がある。「さいわい全員が無事だったが、街の中心にあった家は、真っ先に焼け落ちた」(遠山陽子『評伝 三橋敏雄』)とあった。
サルスベリ↑
2015年8月14日金曜日
武藤雅治「地図にない国家(くに)を想へば沖縄忌」(『花蔭論』)・・・
あたかも章立てのように挿み込まれているモノクロの森崎竜次の写真が本句集の装丁のシンプルさと呼応していて良い。
本句集の出自が少し変わっている。著者の「覚書」によると、
六月十三日から昨日までの、約二週間の躁鬱の成果、ここに創作された言葉の断片を、句集と称するにあ、少なからず後ろめたくもあるが、棄てがたい、いましがたの懐旧として纏めた次第である。読者諸賢も、忌憚のないご批評をいただければ幸いである。
二〇一五年 六月二九日
とある。著者は1951年神奈川県生まれ。歌集、評論集もある。現在は歌誌「月光」会員とあった。
作品は、いわゆる多行形式の句で、多くは高柳重信の四行書きを踏襲している。
慰安夫も
ゐない
ゐないと
兵隊が 雅治
地図に
ない
国家(くに)を想へば
沖縄忌
薄目の
眼の
老犬
白き
花芙蓉
淡竹(はちく)とふ
筍
旨し
雨後の月
*閑話休題
先日、昔の仲間より送られてきた「止めよう!辺野古埋立て 9.12 国会包囲」行動のチラシを送ってきたので、本『花蔭論』(桃谷舎)のなかの句「辺野古にも/行かず/紫陽花/瓶に刺す」に触発されたので、掲載しておく。今や国会周辺は、かの60年安保闘争以来の抗議行動で連日埋め尽くされているらしい(愚生は情けなくも家の近くを散散歩し、たまに横断歩道の信号の変わり目あい、急ぎ足のときに安保粉砕!闘争勝利!とつぶやいて息を切らせながら勢いをつけて渡るのみ)。
おはやうと
こゑを
かけられ
さくあした
ふたりぶん
かんをけが
たりないと
いきてゐる
ひとさしゆびで
ひとをさした
ことは
ある
2015年8月12日水曜日
大岡頌司「ともしびや/おびが驚く/おびのはば」・・・
「大岡頌司 没後十年記念」、〈酒巻英一郎 大岡頌司文学を語る〉が総合文学ウエッブ情報誌「文学金魚」に掲載されている。
酒巻英一郎は現在、同人誌「LOTUS]発行人、「豈」事務局長を務めている。18歳頃より俳句をはじめ金子弘保に多くを学び、大岡頌司に私淑、大岡頌司唯一の弟子と言われ、三行書きの俳句を実践している。『大岡頌司全句集』(浦島工作舎)を編纂。比較的最近作に、
詳らかに
具えて
春の曙は 英一郎
寒暁を
そらにことばの
絶巓を
などがあるが、作品、散文を含めてすべて旧かな、正漢字で書く俳人である。
ともあれ、インタビューのなかで語っていることで、俳句を一行で書くことと、多行で書くことの機微について興味ある発言が随所に見られる。例えば、
俳句には「一行で立つ」という言い方がありますが、比喩的に言うと多行俳句形式はそれを横に寝かせちゃうわけです。一度寝ちゃうと逆になかなか立ち上がれないということはあります。
また、大岡頌司句集『花見干潟』については、
それまで、日本文学が到達していなかったレベルにあると思います。「もしも/もしもと茅屋根の/百の雫を軒として」、「妹がひとりの引潮の/潮干の径を/朝へ帰らむ」、「現は夢のけむりぐさ/すてた山椒に/乳母ら捨てらる」、「今は花なき花いちぢくの/日は龍宮の/杖のつりざを」、「落日はいま/青き棗の/日中を撮む」とかね。
これ以上に、興味のある方は、以下でご一読を・・・・
http://gold-fish-press.com/archives/34977
大岡頌司(おおおか・こうじ)は、1937年広島県賀茂郡生まれ、2003年没。
オオガハス↑
2015年8月11日火曜日
大庭紫逢「現代川柳考・20」(遺稿)・・・
どこかで、大庭紫逢の訃を聞いたような気がしていたが、愚生が毎号、楽しみに読んでいた「都市」に連載されていた「現代川柳考」に「遺稿」とあり、やはりそうだったのか、空耳ではなかったとわかった。
最終稿の冒頭は「セコムしていますアコムも借りてます」の句について杉浦日向子の次の言を引いて記していた。
「何のための生まれてきたのかと問う人もいるが何のためでもいい、とりあえず生まれてきたのだから今の生があり、死があるだけのこと。余計なことを考えるとご飯がまずくなります」。
この句もあまりに他愛ないと言われればそれまでだが、時にはこうした句もあってよいのではなかろうか。
その「都市」8月号に主宰の中西夕紀は、追悼句を寄せている。
悼 大庭紫逢氏
釣り落とす渓の若鮎追はれけり 夕紀
大庭紫逢は昭和22年生まれ。去る6月4日、肝臓癌のため逝去。享年67。哀悼。
山が山恋せし神代初手斧 紫逢
バラ↑
2015年8月10日月曜日
加藤国子「原爆の碑に触れて来る夏の雨」(『能面』)・・・
加藤国子句集『能面』(角川書店)の掲出の句には、「長崎」の前書が付されている。奇しくも今年は被爆70年、敗戦70年の節目の年で、ジャーナリズムや俳句総合誌などの8月号はすべてと言ってよいほど戦後70年特集であった。
ところで、著者加藤国子は愛知県の県立高校の国語教師であるという。寺島初巳の序に「『俳句甲子園』に幸田高校を初出場に導いた」とあったので、そういえば、愚生が現代俳句協会のジュニア俳句祭に参加した折に、幸田高校の生徒たちの作品が、他の投句に比べると、出来の良い完成された句が多かったという記憶がよみがえったのである。また、生徒たちが、句の感想を述べる姿にも、まったく臆していない印象があったのは、どうやら加藤先生の指導の賜物だったのかも知れない。
今年も、現代俳句協会の第12回ジュニア俳句祭は来たる9月13日(日)に江東区教育センターで開催される。
以下に、句集からいくつか挙げておこう。因みに句集の帯文は中原道夫。引用された句は「小手毬
の土塊に今触れてゐる 国子」。
名も知らぬ鳥は真白く凍てしごと 国子
天国につながる塔や冬畳
筋書きの変はらぬ村の祭かな
更衣新任教師声高に
長崎
原爆の碑に触れて来る夏の雨
王子駅 北とぴあ前↑
ムカゴ↑
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