2015年9月13日日曜日

鈴木瑞基「せみしぐれからぶりしたらきこえたよ」(第12回ジュニア俳句コンクール)・・


今朝は、江東区教育センターで行われた第12回ジュニア俳句祭(現代俳句協会主催・江東区教育委員会協力)に出かけた。
「俳句と友だちになろう」をテーマに現代俳句協会ジュニア部の出張俳句教室などの活動が実を結んで、今年で12回目を迎えるという。
コンクールの優秀作品の表彰と合わせて、出席した児童生徒の句会が面白い。小学生の部と中高生の部での表彰が行われたが、大賞は、愚生も事前選考で送稿した中からの一句が選ばれていた。

☆大賞
   せみしぐれからぶりしたらきこえたよ    鈴木瑞基  江東区立水神小4年

そのほか、現代ジュニア俳句コンクール 学校賞には、八王子市立みなみ野中学校が選ばれ、その他の受賞者を以下に記しておこう。

☆小学生の部 下段に☆中学・高校の部

  現代俳句協会賞 
   缶ドロップしゃかしゃか鳴らすこどもの日  太田 圭  足立区立千寿小6年
  青バナナ受験勉強始めます        金子史佳 八王子市立みなみ野中3年 

  江東区教育委員会賞
   兄ちゃんの大きい背中梅雨夕焼け    山井遥斗 江東区第二辰巳小6年
   背泳ぎの手に夏空を独り占        徳原悠月 江東区深川第三中3年

 毎日新聞社賞
   木琴をたたいてたたいて春を呼ぶ    田上まゆ 千代田区立昌平小6年
   告白の予行演習夏の潮         星野明希子 愛知県立幸田高2年

 KADOKAWA賞
   ぬか床のきゅうり三本すいみん中    倉 諒平 江東区立扇橋小6年
   校則をやぶりたくなる夏初め      中島綾香 町田市立町田第二中3年

 文學の森賞  
   つゆじめりなんだか重いランドセル   山口煉太郎 江東区立南砂小5年
   更衣白優勢のオセロかな        高澤杏実  文京区立第九中3年

その後の俳句会では、当日出句の句会が行われ、互選による最高点句は、

   車窓から見えたコスモス夢の色     中村遥夏  私立開智日本橋中1年

愚生の選んだ句会の特選句一句は、

   かきごおりべろだしあってわらいっこ   合原菜月 江東区立東雲小1年

であったが、KADOKAWA「俳句」編集長・白井奈津子氏と重なったので、別の一句を特選句に選んだ。こちらは、俳句を作りなれている生徒に違いないと思ったので、そう評した。

  村芝居母の手紙を見開いて   星野明希子 愛知県立幸田高2年






*閑話休題
 
 昨日は、現代俳句協会第16回年度作品賞の選考委員会が開催され、前田典子「夏帽子」に決定した。選考経過は、「現代俳句」11月号に掲載される。
年度賞選考委員は、今年度は大幅に入れ替わって、石倉夏生・浦川聡子・大井恒行・こしのゆみこ・佐藤映二・田村正義・原雅子の7名。





2015年9月9日水曜日

鳥居三朗「日の中の鵙の村なり澄みにけり」(『てつぺんかけたか』)・・・



鳥居三朗、第4句集『てつぺんかけたか』(木の山文庫)、1940年愛知県吉良町生まれ。

    波の来て海のひろがる吉良忌かな     三郎

愚生が初めて鳥居三朗に会った時は、「童子」の頃の懐かしい名、鳥居三太だった。もうずいぶん以前のことになる。「童子」が創刊されて間もない頃であったろうか、綺羅星のように有望な人たちがいた。それらの中で、彼の独特だった第一句集『小林金物燃料店』は面白かった。
三太改め三朗になってもその親しみは変わらなかった。今では、歴とした「雲」の主宰である。
本集では、第一にオノマトペの作家だと印象した。もちろん、日の光も加えて・・。
というわけで、愚生好みの句に、オノマトペの作をいくつか以下に挙げておこう。

   波に浮くひとゐて沖は晩夏かな
   さよならを云はずに春の逝きにけり
   ぶらんこの子どもは雨に何かいふ
   月に添ふ星に住みたる我らかな

   正月をうつらうつらと京都まで
   ふるふる西のあふみのたびら雪
   ぐるぐるぐる田螺の道のつづきをり
   七月のはじめぶらぶら手をふつて
   秋麗の鳩のふんふん歩みをる
   双六のもどつてもどつて休みかな
   くしやくしやにまぶりて春の帽子かな
   大阪のかんかん帽の男かな
   つるつるのかほしてゐたる蝗かな
   買初の水をしくしく飲んでゐる
   ぎざぎざのはうれん草に日の沈む
   夏鶯きよつといふなり雨になる
   おほばこの花のちりちり鳴りはじむ
   つぴつぴが来てゐる森の青葉かな
   鴨の水脈するする伸びてゆく光



2015年9月8日火曜日

大高霧海「虹の輪に天と地と海それに山」(『菜の花の沖』)・・・



大高霧海第6句集『菜の花の沖』(文學の森)は「風の道」創刊30周年の記念に、ともいうべき句集だから、ごく自然に「風の道」を創刊主宰した先師・松本澄江に捧げた句が多く目につく。その「あとがき」には以下のように記されている。

 想えば俳句の道にかかわったことで、長い青春を享受することができ、今日の自分があることに満足している。この端緒は実は私の法律事務所の客員弁護士故上山太左久先生のお誘い、ご指導によるものであった。先生は俳号如山と言って風生・梧逸門の一人であった。ここに如山先生にも衷心よりお礼申し上げたい。日本固有の短詩型文芸の俳句は師系を大切にすることにある。私も師系を大切にしながら、師系を超える俳句を一句でも残すことを目標としてこれから命のある限り俳句の美の狩人として生きたい。

「美の狩人として生きたい」は見事なる心映えというべきだろう。本句集の前の第5句集『無言館』は、そのほとんどが戦没画学生に捧げられた句で占められていた。図書新聞で書評させていただいた印象からして、本句集は、先師や「風の道」を共に歩いてきた同志への感謝の一集であるにちがいない。

以下に愚生好みのいくつかの句と、松本澄江に捧げられた句を挙げておきたい。

     
     石の神木の神草の神も留守          霧海
     菜の花の沖渺渺と火車の旅
     夾竹桃真つ赤原爆ドーム燃ゆ
     死者も来て踊子に蹤く夜更かな
     行秋(ゆくあき)や水かげろふも木を登る

     澄江忌の俳の昂り梅真白
     燭ゆるる雛のまばたき澄江の忌
     万緑を透かし先師の叱咤の声
     澄江師も死もまた美学ちる桜
       先師を想う
     先師追へど距離ちぢまらぬ花野道
     句碑に倚れば師の俤(おもかげ)の花衣
     つまくれなゐ先師のおしやれ老い知らず

 大高霧海(おおたか・むかい)昭和9年広島県生まれ。「風の道」主宰。
 因みに、司馬遼太郎には、『菜の花の沖』という小説がある。菜の花忌は遼太郎の命日で2月12日。


                 センニンソウ↑
     
     

2015年9月6日日曜日

第8回世界俳句協会大会&「うらめしや~、冥途のみやげ」展・・・



                特別講演・平川祐弘氏↑

世界俳句協会(ディレクター・夏石番矢)の第8回世界俳句協会大会が明治大学駿河台キャンパス・リバティータワーで9月4日(金)~6日(日)まで開催されていた。
愚生の勤務日の都合がつかず、4日(土)にしか顔をだせなかった。
プログラムには興味あるテーマ「無限の対話」に関する講演や討議、さまざまな人の俳句朗読がある企画だったが、愚生が聞けたのは、残念ながら、梅若猶彦「謡曲における言葉と節の関係に潛む美意識」と平川祐弘「ハンドアウト世界的総合芸術としての俳句」の2講演のみだった。
その平川祐弘は夏石番矢の『空飛ぶ法王』に関して、ユーモアを交えて以下のように講演を結んだ。

私は『神曲』を半世紀前に訳してpapaを教皇ではなくて法王の語で訳しましたが『空飛ぶ法王』を読んだとき歴史的に由緒ある法王にしてよかったとあらためて感じました。夏石さんの句集もあれは法王だから自在に舞えるので教皇だったらそうはいかない。法王には高雅な鳳凰のおもむきがある。しゃちこばって教皇などと呼ばれようものなら夏石俳句の法王は恐慌をきたして天から墜落してしまうでしょう。
   空飛ぶ法王まばゆき今日の初日の出
 この句はいかがでしょう。これは夏石の句ではなくて年賀状の返事に私が夏石に書き添えました。




閑話休題・・

もうひ一つは、現在開催中の「うらめしや~、冥途のみやげ」展(東京藝術大学美術館~9月13日)に足を運んだ。全生庵・三遊亭圓朝の幽霊画コレクションを中心にした展示だったが、お目当ては上村松園「焔」。と言いながら、古今の画家が、よくぞ幽霊にまつわる絵を描いたものだとも思った。葛飾北斎、月岡芳年、歌川国芳、河鍋暁斎、曽我蕭白、伊藤晴雨、鏑木清方、高橋由一、歌川広重などをふくめ、圓朝画、圓朝遺品などなど、けっこう楽しませてもらった。






2015年9月4日金曜日

石田郷子「白髪を連ねてゆきぬ草の王」(『草の王』)・・・



 石田郷子句集『草の王』(ふらんす堂)、ちょっと菊地信義をおもわせるような装丁・・・しかし、帯に配された文字使いが違うと思ったが、なかなか良い。
石田郷子の名を最初に認めたころ、愚生は、石田波郷の係累に属している俳人なのかと思っていた。もちろん、今は、そうではないらしいことはわかっている。先日のクプラス謹製の「平成二十六年俳諧國之概略」の図には「等身大派」の領袖のような扱いでその名は大きく書かれている。本集の句を眺めると、確かにそのような印象もあるが、清潔感がある。等身大ということは、その人の人格そのものが句に大いに反映するということだろうから、自らを律する高貴さが求められ、かつその向上のために心身を修行せしめねばならないような気がして、愚生のようないい加減の者には、端からあきらめるほかなさそうだ。
 ところで、これも不確かな記憶でいうのだが、かつて高柳重信が林田紀音夫の句を評して「等身大の句」と言ったように思う。半分は褒め言葉だが、残りはその俳人の身の丈以上の俳句の世界は創造できないということだったように思った。
 いずれにしても「俳句をやるほど君は不幸なのか?」と問いかけた重信だった。そうであるならば、石田郷子の句の世界にだってそれが宿っているのかもしれない、と思えば、それは、たぶん逆説としての清潔感になるだろう。
 ともあれ、愚生好みにしかならないが、いくつかの句を挙げておきたい。

    燃えてゐる黒と思へり冬林檎         郷子
    揺れはじめ揺れをさめたる蕎麦の花
    打水にくるりとのりぬ鳥の羽
    つぎつぎに時雨忌の傘たたみ入る
    大杉を恃みぬ人も寒禽も
    杉山の暗きに花の吹雪をり
    柴栗のひろびろ落ちてなぞへ畑
    凩や古布に棲む蝶や鳥
    狼のたどる稜線かもしれぬ




                                               ルコウソウ↑

2015年9月2日水曜日

「平成二十六年俳諧國之概略」(クプラス謹製)・・・



  俳句雑誌「ku+2」(クプラスの会)の投げ込みチラシに「平成二十六年俳諧國之概略」(by上田信治・高山れおな・古脇語・山田耕司)があった。本誌にはその作成の経緯が座談会にしてまとめられている。
 タイトルは「平成二十六年の俳句界をマッピングしてみたらこんなことになった」。図の頂点にあるのが「ロマン主義」で金子兜太が鎮座ましましている。左軸に「大衆性」、右に「新しさ」、真下側に「専門性」が置かれていたりする。いわば、現俳句界の支配図式ということだろう。したがって現俳句界から排除されているマイナーポエットはおのずから現れてはこない(もちろん、そんなものはあっても、パワーバランスからすれば、一向に影響力を保持しないのだからやむをえない・・・)。
お楽しみ企画であれば、それなりに面白い。
ただ、メインの特集が「正岡子規ネオ」だから、というわけではないが(新調クプラスにしては分類語彙が意外と古い印象?・・)、「低廻派」は、あいまいな記憶で失礼するが、漱石が低徊趣味といったのは、虚子に対してで、その低徊派は、同時に高踏派、余裕派のことであったような気もしないではないが・・・。
ともあれ、愚生にとっては、こうした腑分けされた図によって初めて知ることも多く、その労苦に感心もしたのである。なかで、山田耕司が以下のように発言しているのには、なるほど、そうなのかと納得させられたりした。

 山田 (前略)一方、《伝統主義》は、厳然として存在する俳句の、その存在を疑わないという主義。師匠の言ったことを一言一言ゆるがせにしないという姿勢の問題でもある。《伝統主義》がマナーとしての俳句であるのに対して《原理主義》は言語表現としての俳句を対象化し、詩歌および表現することそのものの広い領域を批評の座に組み込もうとします。かつ、現状を疑い、ともすればあるべき理想へと傾倒してゆく。

また、上田信治の説明も分かりやすかった。

上田 (前略)《伝統とロマン》にあって《原理》にないものは〈大衆性〉です。《ロマンと原理》にあって《伝統》にないものは〈新しさ〉。《伝統と原理》にあって《ロマン》にないものは〈専門性〉です。

これらの当否は議論されていくだろうが、余談ながら、本誌の活字が小さいのは(世の中では普通かも知れないが、今や新聞でさえ大きな活字なのに・・)、愚生のような老人には、すでに読む困難を強いる。ただ、それは自分の老いということだから、つまらぬ愚痴にしかならない(嗚呼、年は取りたくないものだ)。





2015年9月1日火曜日

茨木和生「戦争を知りゐる樹々も山桜」(『真鳥』)・・・



茨木和生句集『真鳥』(角川書店)には、右城暮石の弟子らしく、暮石忌の句がいくつかある。1990年、茨木和生が右城暮石の「運河」を継承してからもすでに25年の歳月が流れている。師の暮石が松瀬青々ゆずりの自然讃仰一筋に歩いたように、茨木和生もまた、自然讃仰の道を、ますます平明な句作りとともに歩いているように思える。それを「あとがきに」、

  ますます自然をありがたいものと思うようになった。しかし、このところ自然は人間の手によって荒らされていることを嘆かないわけにはいかない。(中略)
  日本の自然は本当に美しいのかと問い直してみたい思いでいっぱいである。東日本大震災と原子力発電所の事故は言うまでもない。山に目をやれば、楢枯れ現象は留まるところがない。杉檜の植林も手入のされない山が増え続け、山の竹林化のスピードは進むばかりである。自然を心底ありがたいと思って句を詠める日の来ることに微力を尽くしたい。

ところで、余談だが、茨木和生は、攝津幸彦の高校時代の先生だった。確か島田牙城もそうだったと思う。また、早逝した安土多架志もそうだったのではなかろうか。ともあれ、以下にいくつか暮石関連の句と愚生好みの句を挙げておこう。

    竜天に登りしあとの雲の色                  和生
       下野国平畑静塔の墓に詣づ
    墓地に立つ月下の俘虜の句碑も灼く
    一睡のあとに校正暮石の忌
    ここのこの暮石も見たる吾亦紅
    ひひと鳴く声のあはれも麦鶉
        吉野山中にて
    戦争を知りゐる樹々も山桜
        右城暮石先生の山墓の道
    吉野よりここの一樹の山桜
        高知県長岡郡本山町では
    三日間雨量千ミリ暮石の忌

ちなみに暮石の忌日は、8月9日である。