2019年12月30日月曜日

佐藤榮市「さざなみのもとにもどって夏の雲」(『佐藤榮市Works』)・・



『佐藤榮市 Works』(50部限定、制作・発行 伊地知福夫、頒価¥1000)、表4には、佐藤榮市の言葉が掲げられている。

   名句よりも千の駄句を作って
   偶然性のパロールの中で
   自分の句を発見してゆくことは
   とても大切だ

巻尾には、妻・佐藤早苗が、

 一周忌を過ぎ、やっと彼の部屋の整理をしなくては、と片づけはじめたら、彼の野原がが覆いつくされるような俳句や小説、戯曲などの原稿が出てきました。いつもの書きなぐりではなく、きちんと綿密に書かれたノートも数冊。俳句仲間からの評や感想もきちんと保管されていて、「なんかわからないけど面白い」とか「目指せマイノリティーの頂点!」など、思わずニヤリとしちゃいました。
 そして、この度、高校時代の友人、伊地知福夫さんが佐藤の作品をまとめてみたいとおっしゃり、パソコンで入力し、それを旧友近藤和明さんが編集してこの「佐藤榮市Works」ができました。

 と記している。 目次には、「Worrks初期詩篇」「Worrks句会篇」「Works句集編」とあって、佐藤榮市の歩みがわかる。初期詩篇には、愚生の知らない、佐藤榮市がいる。早稲田大学第二文学部では「早稲田大学児童文化研究会『壁』」に所属して「五月の夢」(「壁1969年2月』)を発表している。その後は同人誌「序哥」「斜面」「詩的現代」に所属し、後続の2誌では、「亡霊」のタイトルで9編を続けて書いている。
 愚生が知っている佐藤榮市はそれ以後、宮﨑二健の「サムライ」で行われていた句会「もののふの会」あたりからである。その後「豈」の同人になり、阿部完市の「現代定型詩の会」や中西ひろ美等の「垂人(たると)」、また、「蛮」「夢座」「木霊句会」などにも参加していた。亡くなったのは、1918年5月23日、享年69。1948年9月23日、神戸市中央区生まれ。愚生と同じ生まれ年だ。
 編著書に、私淑し、自裁した詩人・遠藤宏遺稿集「火呂虫」(手元から離すことなく、45年間、表紙がボロボロになっていた、という)。詩集に『リンム』『フラミンゴ キイ』、句集に『チキンスープ』『猿笛』、電子版句集『佐藤榮市句抄』。
 詩篇は長いので、このブログでは、収録句の中から、句集未収録、近年のものを、いくつか挙げておきたい。合掌。

  えんじぇるのじゅるじゅるジュテーム白髪葱      榮市
  母といて雲雀揚がってそれっきり
  散る花のこの散る花にまじる蝶
  猫の子に風の子まじる露地の春
  待合室から鶴と出てくる古老かな
  仮の世に腰かけ鶴を歩ませる
  残菊の皮膚感覚を暮れていく
  寺町や月下の右をいそぎける
  蕎麦の花毬子さんの霊が吹く風の
  でこぼこの虹です妻をラッピング
  日傘さす無限の竜骨のナイーブ
  



撮影・鈴木純一 返り花と9608 ↑

2019年12月29日日曜日

大島雄作「酢海雲をちゆるると啜り国憂ふ」(『一滴』)・・



 大島雄作第5句集『一滴』(青磁社)、著者「あとがき」には、

  前句集『春風』を作った際に考えていたこと、つまり自在に、平易に、好き勝手に詠むという気持ちは全く変わらない。このところ、定期的に吟行に出かけ、自然と触れ合う機会は増えているが、句を整理すると、いわゆる叙景句がどんどん落ちてゆく。結局「作る」のが自分の持ち味なのかと改めて思った。

 と記されている。その成果が本句集というわけである。ともあれ、集中より、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  這ひ這ひのかくも無敵ぞ夏座敷     雄作
  かかとから歩かう冬野はじまるよ
  鯛焼のさびしき貌の方が裏
  生ごみに出されてしまひ蛇の衣
  どの眼鏡も約款読めず十二月
  竹馬のいよいよ悍馬となりにけり
  〇(まる)がよからうよ巣箱の入口は
  目借時競輪場の鐘(じやん)が鳴る
  逃水にあり鬣のごときもの
  雪来るかマトリョーシカは出窓にゐ
  指切といふ怖きこと朧の夜
  死の稽古めきたる秋の昼寝かな

 大島雄作(おおしま・ゆうさく)1952年、香川県多度津町生まれ。




★閑話休題・・・山本つぼみ著『英彦山姫沙羅にお雫ー杉田久女考』・・・


著者「あとがき」には、

 (前略)それならと云うことで、「青芝」に掲載した昭和六十三年からの杉田久女考を、青芝主宰にお許しを頂き「阿夫利嶺」に転載する運びとなった。当時「青芝」は昭和六十年一月に先師八幡城太郎の急逝に遭い、悲壮な決意での中村菊一郎主宰を中心の俳誌存続であったので、副主宰として大会時の講演なども率先してしなければならなかった。そして「久女」への旅がはじまった。

 とある。本著の最終章(二十四)に、記された「櫓山山荘虚子先生来遊句会 四句」の前書が、掲載されている四句「潮干人を松に佇み見下せり」「花石蕗今日の句会に欠けし君」「秋山に映りて消えし花火かな」「石の間に生えて小さし葉鶏頭」の句の季節が、それぞれ、春、冬、秋、秋であることと、虚子来訪の日付から推測し、前書きの「四句」とあるのは、「一句」の誤植=間違いだろうと、結論を述べている。
 また、本書タイトル「英彦山の姫沙羅の雫」は、巻尾近くの以下の記述を受けてのものであろう。

  悠久の時の流れの中で、ひと粒の雫は、きらきら輝きながら、英彦山の岩の間に消えた。一輪の姫沙羅の花の淡いピンクの色となり、葉先のみどり濃い憂いに染まり、枝の茶褐色をも伝わりながら、地上までの空間は輝いて・・・久女が愛してやまなかった英彦山全山の自然の中に解けこんでいったのである。

山本つぼみ(やまもと・つぼみ) 昭和7年。厚木市生まれ。



撮影・鈴木純一 とくに何もしなかった↑

2019年12月28日土曜日

森田廣「飛びたくない飛魚もとび日が落ちる」(『出雲、うちなるトポスⅡ』)・・


 
 俳句+絵画*永遠なる一瞬『出雲、うちなるトポスⅡ』鼓動する記憶*森田廣(霧工房)、94歳翁、その「あとがき」に、

 (前略)「音楽の原点は静寂である」と。「音(音楽)を「言葉」に置き換えても同じことと思われる。絵画表現に於いて岸田劉生は「そこに在るということは、そこにないことと等量の存在」と言っている。いずれも、現にあるものはその対極にあるものー聞こえないもの、見えないものを包含するという表現意識を語ったものである。つまり、非在から立ち顕れる存在、表現に於ける存在の根源的な意識である。(中略)
 詩性の要件として「述べない」ことを念頭にしながらも、あえて洗練に遠い句を残した。私の中の野翁的な面を拭えないものがあるからである。
 念を押せば、うちなる「出雲」は、いわばDNA的な種族感覚や古代神話、あるいは伝承の民俗等を超え、正も負もつつみこむ大らかな風土である。
 高齢のもたらす衰退には抗えないものの、表現者の自覚があるかぎり、存在に向きあう切実な現実を生きるほかはない。

 という。ともあれ、集中よりいくつかの句のみになるが、挙げておきたい。

  息の緒のあそびを問わば蝶吹雪            廣
  また一人あたまが歩く春の星
  棒杙も神も見えざり秋の浜
  雲中にはためく弔旗ななかまど
  いなつるび縊り鶏にも父母ありき
  草の絮サグラダ・ファミリアへ翔びたてり
  わらび谷異界案(あ)内の雲が照る
  なんべん死んでなんべん生きし麦の波
  かつて大八車(だいはち)に晴着のような冬晴れがあった
  ひとりずつひとりの夕月冬木立
  
 森田廣(もりた・ひろし) 1926年、島根県安来市生まれ。


2019年12月27日金曜日

秋尾敏「浮かびきれない氷あり夜の森」(『ふりみだす』)・・

 


 秋尾敏第5句集『ふりみだす』(本阿弥書店)、集名に因む句は、

  学校の柳が髪をふりみだす     敏

である。長い「あとがき」があり、その中の部分、長くなるが引用しよう。

 (前略)だとすれば俳句は、ネット上のデジタルフォントに移行することによって、近代俳句の古臭い部分を捨て去っていくことになるのだろう。子規や虚子や碧梧桐の俳句が、活字によって、古臭い旧派の月並臭を消し去ったように。
 明治の筆文字は、月並調や教訓調を作り出した。同様に近代俳句は、活字文化の中で、さまざまな差別構造を生んできた。それらに気づき、払拭する機会が、ネットというメディァによってもたらされたと考えてみるべきかもしれない。ネット上のデジタルフォントは、同時的にあらゆる立場の人の閲覧を可能にするメディァであるから、一部の人を差別する表現には、誰かがすぐ気づくことになる。(中略)
 俳句をこの国のドメスティックな文学形式と捉えることは誤りである。そもそも俳諧は和歌と中国文学との出会いによって生まれ、近代俳句は、西洋文学の価値観との相克と融合によって形成されたのである。俳文芸は、常に国際的であった。グローバルな視点からの国民国家論やポストコロニアル批評が俳句批評に応用されなければ、戦後俳句は、真の姿を表すことはないだろう。(中略)
 もはや時代は近代ではない。未だ名付けられず、ポスト・モダンと呼ぶしかないこの時代の俳句をどうしていくのか。それが、私の考えることの全てである。(中略)
 俳文芸は、古典に対しても、社会状況に対しても、〈軽やかなつまみ食い〉をし続けてきた。だから私も、そのように俳句を詠み続ける。古典も古語も、近代的自我も写生も、俳句はすべて〈軽やかなつまみ食い〉をすればいいのである。
 そうした俳句が〈浅い〉ということにはならない。ポップに〈軽やかにつまみ食い〉する俳句こそが、もっとも深い表現をし続けられると、私は信じている。

 と、述べている。そして、本句集は、その〈軽やかなつまみ食い〉によって〈ふりみだす〉深化をとげている。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。

   人間に整えられて麦の秋
   幾万の螢昭和という谷に
   破綻の町よ林檎にも指紋は残り
   原発に下萌ゆるとは怖ろしき
   どの足も許して長し春の道
   噴水を落ちるばかりと見てしまう
   土手に泥流コスモスの決死隊
     「軸」五十周年
   薫風の内在律や半世紀
      金子兜太氏追悼
   ふかぶかと落暉末黒野は無中心
   客観に主観は並び寒い書架
   夜の凩捜しものなら手伝おう
   雷兆す体よ僕に付いてこい

 秋尾 敏(あきお・びん) 昭和25年、埼玉県吉川町(現、吉川市)生まれ。



          撮影・一読者より ↑

2019年12月26日木曜日

藤田哲史「レーウェンフック氏自作ルーペニ露ヲ検見(ケミ)ス」(『楡の茂る頃とその前後』)・・



 藤田哲史第1句集『楡の茂る頃とその前後』(左右社)、その帯の惹句は、

 存在の眩しさ/そして儚さをめぐる/264句。 

 この明るさを/どこかで知っていたような/気がして、/それは何であった
 だろうかと、/しばらく考えていた。             ---鴇田智哉

 と記されている。そのように、投げ込みの栞文は鴇田智哉「ある日あるときの」、生駒大祐「天体から冬木へ」。生駒大祐は言う。

  卒業の泪のあとの食事です       「ラッシュ」
  今はない展墓の道の椚(くぬぎ)です  「ラッシュ」
  お座なりの如雨露の内も氷です     「ラッシュ」

 これらの句をどう読めば良いのであろうか。例えば、飯田蛇笏の『霊芝』のある時期などに見られる句末の「かな」の多用が影響していることを考えてみることが出来る。この章だけを見れば、蛇笏の格調高い文体を口語に移植し、味付けを変え、「かな」を「です」に置き換えた可能性も有り得ないことではない。しかし、句集全体を俯瞰するとその読みは些か浅いように思う。まず、これらの句の「です」を「かな」に置き換えた時の読後感の違いは無視し得ない。さらに、前章の「言う」はそれまでの章から一転して新仮名で書かれ、文体もほぼ口語である。(中略)これらに対して僕はある仮説を持っているが、ここでそれを披露することはしない。それは句集の栞の領分を逸脱しているし、この「です」の是非がフラットに論じられることこそが俳句への真の貢献になると信じるからだ。

 ともあれ、以下に、愚生好みの、いくつかの句を挙げておこう。

  極暑なり店に写真機の目目目目目         哲史
  菌美(は)し人を母として冥王素(プルトニウム)
  いざよいのしろい布巾にしろい卵(らん)
  タイピングあるとき止まり彼は咳
  風船をみすみす逃す日の終わり
  ポスターも凩責めの砌です
  吶吶と信書仕分けの夜業です
  薪割りが十一月の全てです
  あたたかし湯に樹脂製の鶩(あひる)の黄
  師走なり不眠続きのゼリー食
  改札を何故急くモッズコート紺
  人体の焼却事務を白雨に待つ
  静物に蟷螂紛れ描かれざる
  降るすべて紫黒の海に溶け入る雪

藤田哲史(ふじた・さとし) 1987年、三重県生まれ。


  ★閑話休題・・「Toriino(トリーノ」53号冬号、Free「自然が織りなす4つの楽章」、本号で休刊!


「T0riino」は公益財団法人日本野鳥の会のフリマガジンである。毎号の写真と絵を楽しみにしてきた。4つの楽章とは、「彩の章」入江泰吉、「憶の章」尾仲浩二・野町和嘉、「流の章」藤原新也、「響の章」星野道夫、写真に付された文章は、藤原新也を除いてすべて安藤康弘。季節の野鳥は「ツグミ」。休刊のお知らせによると、「諸般の事情により、次号(2020年春号)をお休み」、夏以降の発行については日本野鳥の会のウエブサイトで、あらためてご案内、とあった。


 
撮影・染々亭呆人 ↑

2019年12月25日水曜日

諏佐英莉「極月の手に硬き骨軟き骨」(『やさしきひと』)・・・



 諏佐英莉句集『やさしきひと』(文學の森)、帯には、

   マニキュアの蓋開いてゐる熱帯夜


 の句に、「第九回 北斗賞受賞」の文字があるばかりで、他には、流行りの惹句もなく、シンプルな作りである。著者略歴には、どこの結社にも属していないらしく、「無所属」とあった。なかなかに好ましい。序は、石川裕子。それには、

 諏佐さんと私が関わっていたのは、彼女が高校生の時、文芸部(正確には「書道文芸部」という名称でした)の顧問と部員という関係でした。(中略)前任者の転勤によって顧問を引き継ぐことになった私ときたら、俳句についてはまるで素人で、初めて生徒を引率した第六回俳句甲子園では、審査の先生に「五七五の間にはスペースを空けない」ということを指導されたことが今でも忘れられません。

 とある。 また、

 当時の彼女について覚えていることは、ソフトボール部と兼部していたこと、二年生の時に愛知県の高校生のコンクールの俳句部門で一席となり、翌年の全国高等学校文化祭の代表生徒となって弘前に引率したこと。(中略)そんな中でも特に、当時彼女が俳句を整理するのに使っていた紙ファイルに三橋鷹女の〈鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし〉を書いていたことを印象深く覚えています。

 とあった。そして、著者「あとがき」には、

 俳句を作るとき、記憶の中の風景や感覚から作ることがしばしばある。記憶たちはなぜかとても鮮明で、たった今それを体感しているかのようにつるりと俳句になっていく。幼少期の記憶から作った句で主に構成した【黄色】、思春期の【反省文】、青年期の【素泊】、そしてごく最近の事柄を詠んだ【寒夕焼】の四章から成るこの句集には、匂いそうなほど私自身が存在している。

 という。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。

  ストローを曲げずに飲んでソーダ水
  死因はつきりしない金魚を弔ひぬ
  ゴミで押すゴミ箱のゴミ夏の果
  似顔絵を描かれるために取るマスク
  誘はれて春のゴリラを見にゆかむ
  万緑やかたきJRの座席 
  帰宅して五分で作る夏料理
  向日葵やいつでも会へるひとと会う
  秋麗やかばが水から出てこない
  冬ざれや新しい歯ぶらしに水
  絵本まづ献辞ありけり聖五月
  向日葵やくちびる薄き新生児
  思ふより軽き胎児や天の川

 諏佐英莉(すさ・えり) 1987年、愛知県生まれ。

2019年12月22日日曜日

大輪靖宏「道果てるまで月光を浴び行かむ」(『月の道』)・・



 大輪靖宏第5句集『月の道』(本阿弥書店)、集名に因む句は、

  月昇り海に光の道生まる    靖宏

 だろう。「あとがき」には、

 (前略)もともと私は国文学の教師であり、俳句も六十歳までは研究対象であった。自分で作ってみた方が俳句に対する理解も深まるだろうと作り始めた。(中略)自分の考える俳句というものが出来れば満足なのだ。
 こんな姿勢を押し通せるのも、私が俳句結社に所属したことがなく、俳句の上での師匠を持ったこともないからだろう。国文学研究として芭蕉や蕪村など江戸俳諧史には接し、そこから多くのことを学んだが、結局のところ俳句についてはまったく自分本位であって、自分の好みに合った句を良しとし、たとえ良い評価を受けた句であっても好みに合わなければ捨てるということをしてきた。つまり、この句集は自分の好みに合う句が一応一冊分になったということである。

 という。それでも、句を「共に作り合う仲間には恵まれて」いたといい、「この句集もそうした恵まれた環境に甘えてのものである。自己満足と言われても仕方ないが、ともかく満足しての句集である」と、さっぱりしている。そうしたマイペースの加減の良さが句句にも現れていよう。ともあれ、本集より、いくつかの句を挙げておこう。

  生は苦ぞ死は永遠の無ぞ実朝忌
  滝へ行かう二度と気弱にならぬやう
  鳴けよ鳴け死に急ぐなよ秋の蟬
  草木みな影持つ花野大斜陽
  雛もまたやや齢老いて日は暮るる
  正面を睨みて蟹は横へ行く
  蟻の列折り返し点なく続く
  蟷螂よ歌でもうたへ怒らずに
  山を出て春の水とて流れけり
  甲高き下校の子等の声は夏


★さらに、一書・・・大輪靖宏著『俳句という無限空間』(文學の森)・・・


 「俳句が内包する可能性を探る!」と、帯の背に惹句されているが、本書の内容は、その可能性を論じて前向きである。三章に分れているが、それぞれ、俳句にとって大事なことが平易に述べられている。講演録もいくつか収録されている。自身の蒙昧もあるが、愚生にはとりわけ、一章の「短歌の表現技術からみた俳句の特性」「江戸時代の文芸の新しさーその一、そのニ」で、〈物語的な女の描き方〉〈西鶴はなぜ遊女を描いたか〉〈西鶴の描き方〉〈近松の芸術論と芭蕉の俳論〉〈現実を描けない世界〉は興味深く読んだ。〈現実を描けない世界〉では、例えば、

 元禄時代の井原西鶴や近松門左衛門は、ほぼ現実をそのままに描くことができた。しかし、安永天明以降になると、為政者の締め付けが厳しく現実を描くことが難しなってくる。したがって、安永天明期の作者たちは、散文の上田秋成にしても、韻文の与謝蕪村にしても、戯曲の近松平二にしてもロマン的傾向が強くなる。あたかも現実を描いていないような作り方になるのだ。しかし、それにもかかわらず作者たちは種々の方法を用いて現実を描き出している。(中略)
 この『南総里見八犬伝)に描かれた世界も現実にはあり得ない世界である。善いことをした人間には必ず良い報があり、悪いことをした人間には必ず悪い報いがあるなどということは、子供でも少し成長してくれば、こんなことが現実にあり得ないことはすぐに知ってしまうだろう。まして大人になってなおこんなことを信じている人間はいないはずだ。だが、あえて馬琴は小説の中でそういう世界を作った。(中略)
 馬琴は自分の小説の百年後の効果を考えていた。『八犬伝』が読み継がれることによって、百年ののちには人々が善いことのみをしようと心がける楽園が出現する。そのときこそ『八犬伝』の真の価値を人々は認めてくれるだろう。馬琴が「百年の後、知音を俟て是を悟らしめんとす」と記した「隠微」にはこうした意味もあるのではないかと思う。

 と、述べられている。そして、教師(学究)生活のなかで、考えたさまざまのことが、芭蕉の言説に突き当たるとも記されてる。

 大輪靖宏(おおわ・やすひろ) 1936年、東京生れ。


撮影・鈴木純一 ↑