府中・大國魂神社↑
どんな苦境のときにも大本義幸は意気軒高に思える。大本義幸は攝津幸彦の盟友だった。彼の記憶は、いつも伝説化されてイメージされているのだろう。その記憶を正しく回顧して、仁平勝は「豈」59号に特別寄稿「大本義幸を肴にした極私的回顧談」を書いてくれた。
その大本義幸の句集『硝子器に春の影みち』(沖積舎)刊行の2008年の時点で、大本義幸の年譜には、
2003(平成15)年、4月胃癌手術のため吹田済生会病院に入院、胃の五分の三を切除。
04(平成16)年、4月、咽頭がんのため下咽頭を全摘出、小腸を移植。肉声のすべてを失う。
05(平成17)年、7月、食道がんのため内視鏡にて切削。
07(平成19)年、舌癌手術のため京都、竹田医院に入院。
などとあってすでに四度。その後、大腸、肺がんなどを患ったようにおもったが、愚生にはいつものことながらおぼろで正確な記憶はない。ただ今回の賀状欄外に「ガン、NO.7になりました」と記されてあったので、えッ7度目のガン?と思い、読みかえした。
そして、以下のような記述に接したのだった。
(前略)このひとに、腹に五本の点滴を差し込む、肺癌の抗癌剤投与をみせていただいた。読んでくれ、白内障でみえないのだと○○○○さんはよく言った。これが加齢黄班変性症発見の原点なのだ。これからわたしには三〇回の抗癌剤投与が待っているのだが。
2017.1.1
励ましも何も言えない。ただ、今回もまた大本義幸はこの事態を乗り切るはずだ、と信じている。
攝津幸彦夫人・資子の賀状には毎年、攝津幸彦の句が掲げられている。
今年は、
天心に鶴折る時の響きあり 幸彦
だった。今年、攝津幸彦は没後21年、生誕70年、存命であれば古稀を迎える。
大國魂神社のウメ↑
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