2017年1月30日月曜日
越村藏「わたくしもわたむし(綿虫)も命明りかな」・・・
ブログの句は、越村清良著『教師「ん」とカリン』(深夜叢書社)の謹呈用紙に記されていた句である。その用紙には以下のように記されている。
若年より文学をこころざし、
ようやく一作を得たように思いいます。
『教師「ん」とカリン』は、書かねばならぬ話でした。
あと幾つか、こうしたものを持っています。
命ある限り、書き続けようと思います。
これまでのご厚誼、ありがとうございました。
なお、本年より年賀状を失礼させていただきます。
わたくしもわたむし(綿虫)も命明りかな 金沢。藏小宅にて
平成二十九年一月
小説は母子生活支援施設にくらす少女の物語。舞台は北陸、パラグライダーの聖地。少女の夢はパラグライダーに乗り、ライダーたちの合言葉「日本海に向かって翔べ!」を現実のものにすること。
ところで、越村清良(こしむら・きよら)は1951年、石川県生まれ。俳人としての俳号は越村藏(くら)、かつてあった「俳句朝日」の編集長だった。その「俳句朝日」に自分の作品を一挙掲載して、心ある俳人から顰蹙を買ったことがあるが、本人はいたって平気で、他の俳人よりはいい句だったろうと言い、そう思っていた節がある。
あるとき、冗談とも思えない、戦後○○年企画、金子兜太、越村藏、愚生、それに何人かの俳人を加えて、12月8日の開戦日にパールハーバーで非戦のための句会をやろう、というものだった。愚生は、顎足付きで真珠湾吟行、是非行きたいですね。約束しましたよ、と即答したはずだが、その句会はいまだに実現されていないどころか、「俳句朝日」の方が命運尽きて廃刊になってしまった。
花無ければたましいさみしからん
上記は、本文に挿入されている、小説の主人公・カリンの母が色紙にしたためた句である。
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