「合歓」は歌人・久々湊盈子の主宰誌で季刊。義父は新興俳句俳人の湊楊一郎。毎号のインタビューページが特徴でもある。今号は「内藤明さんに聞くー存在の奥にあるもの」。その最後に以下のように結んでいる。
内藤 「知」というものがここ十年二十年でがらりと変わりましたね。人工知能で偶然もデタラメもプログラミング出来るかもしれない。機械が人間を凌駕していく。その先にできることは何か。少しずれますが、空穂は生活実感をいい、武川忠一は人間をいいました。いかにも古めかしいのですが、今思えば、それぞれが時代の中でそれを脅かすものへの抵抗だったのだと思います。生活も人間も言葉も変わる部分と変わらない部分があるはずです。下手な歌を作り続けているわけですが、色々な意味で変わるものと変わらないもの、矛盾するものがともに成り立つ場として、短歌の可能性を信じたいとおもいますね。
インタビューの中から作品を孫引きすると、
少し違ふ何かが違ふとおもひつつ宵の集ひの大方も過ぐ 内藤 明
身を賭して戦はざりし悔しみを哄笑の中に飼ひ慣らしゆく
兵たりし日を語らざるちちのみの父の戦後の陰を追ひしか
末尾になったが、今号の久々湊盈子作品から三首を以下に、
なりかけの歌の言葉がひしめきて春の手帖は生臭きかな 盈子
トランプのキングのくしゃみで日本が風邪ひきそうな早春寒波
放射能汚染の有無をみるために飼わるる小鳥も交接の季
撮影・葛城綾呂 カントウタンポポ↑
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