松之元洋子『青鹿』(角川書店)、集名は以下の句から、
青鹿(あをじし)の眼逸らさぬ寒日和 陽子
井上弘美の序文にはこうあった。
陽子さんは甲子雄先生に背中を押されて、俳句の道を歩き出したのである。そんな陽子さんを育てたのは、石川静雪、有泉七種といった「雲母」で蛇笏選を受けた「白露」の重鎮、さらに金子青銅の指導を受けるという幸運に恵まれた。
愚生は金子青銅とういう名に反応した。それは愚生も参加した『現代俳句の精鋭・全三巻』(牧羊社刊)である。現在のふらんす堂社主・山岡喜美子の仕事だった。その帯には「20代30代作家を一堂に結集して現代俳句の可能性に挑戦。1985年の作品100句を収録した精選アンソロジー。俳句の現在を映し出し、新しい夜明けを告げる。」とある。もとより句のない愚生は、そのⅠ巻に、書下ろし100句で臨んだのだった。改めて、その時の金子青銅の100句「長良川」をみると、当時の愚生は以下の句に〇を付けていた。
天辺へ鳥来ては去り年詰まる 青銅
十二鵜の一鵜はげしく火の粉浴び
仏像の七影生るる梅雨の月
天意すなはち月光の結露かな
そして彼は「今の私にとって俳句は一句入魂のつみかさねである」と記していた。ぞの金子青銅は65歳で逝った。その金子に「三伏や美濃の要は金華山」の句がある。その句に、松之元陽子の次の句を重ね合わせた。
三伏の山には山のこゑ満ちて
ともあれ、以下いくつかの句を挙げておこう。
満開のさくら桜につつまるる
霧雨の後の結晶紫蘇の花
死は白き花もて悼む秋風裡
八月の空応援歌鎮魂歌
夜の雪黯き余白を埋めにけり
おもひだすこゑは言霊冬が来る
松之元陽子(まつのもと・ようこ)、1957年、東京都生まれ。
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