河野哲也『双樹の欅』(文學の森)。句作は平成13年「澪」入会によってはじめられたらしい。著者は1932年、東京生まれだから、70歳を過ぎての俳句入門ということになる。だが、序文の藤田宏は「
企業での長年にわたる勤めを果たした後の俳句入門だから若いとは言えないが、その後の呑み込みの速さには眼を瞠るものがあった」、また跋文の松林尚志は「
その精進ぶりと進歩は眼を見張るばかりで、学芸への造詣ぶりや豊かな教養は句作の素地を充分身につけていたことを窺わせた」と記しているように、句歴の長さが佳句を生み出す条件では決してないことがわかる。人生に向かう厳しい姿勢がおのずと現れているのである。それらの事情を河野哲也は「後書」で以下のように述べて言う。
軽い気持ちで始めた俳句が、いつしか晩年の人生の大きな部分を占めるようになりました。そのお蔭で自然の素晴らしさ、人生の奥行きの深さ、人間の性(さが)
の複雑さ等により深く触れることができ、感謝のほかありません。
ともあれ、いくつかの句を以下に挙げさせていただく。
生まれきてすでに余生か蝸牛 哲也
寒夜仰ぐシリウスに哀しみの青
水仙を御手(みて)
にお后黙礼す
天涯に人影多き敗戦忌
露けしや進むほかなき老いの道
空真青居間に黙禱終戦日
薔薇の名はプリンセスミチコ去り難く
春めくや人の声より鳥の声
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