2016年2月22日月曜日

米谷玄「雛壇のひなのまなざし皆かなし」(古田旦子『風の会話』より)・・・



 米谷玄(こめたに・ひろし)は大正3年福岡県豊前市生まれ。秋櫻子の「馬醉木」に投句、平成11年10月に死去とある。句は古田旦子句集『風の会話』(文學の森)のなかの「父・米谷玄遺作品」の章のものである。淡々と詠まれた句群には捨てがたいものがあった。
いくつかを以下に挙げたい。

    住み馴れ詞し寝屋川を引き揚ぐ
  暑き日の妻逝きし町さやうなら       
  一本の向日葵を供華原爆忌
  何も彼も末枯るヽもの枯るヽもの
  譲られし席にも西日差して来し
  母の忌の又その日の如く雪

 米谷玄の娘・古田旦子『風の会話』のついては、大牧広の序に見事に書き尽くされているので、あえてこれ以上は触れないでおく。その大牧広の言、

  
     多き手に背中押されし涅槃西風     旦子

『風の会話』に収められた一句一句は、こうしてなにげない俳句が誠実に収められていて、本集を読み終わってみると、ふっと身のうちに生きてゆく勇気にみちてくる、といった一書である。

 古田旦子(ふるた・あきこ)、昭和21年福岡県生まれ。



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