2016年11月26日土曜日

末森英機「野をわたる誰かなじみのない象(かたち)」(『天の猟犬』)・・・



府中市立図書館の詩歌の棚、見るともなくみた。
どこかで覚えのある名前・・末森英機『天の猟犬』(れんが書房新社・2006年刊)。
もう十年以上は前の事になるだろうか。
中川五郎の解説「光る言葉のメディシン・、マシン」を読んで、はっきり思い出した。
「げんこつ祭」。愚生も所属していた企業を超えて個人加盟ができる地域合同労組、全労協全国一般東京労働組合で末森英機が中心になってやっていたイベントが「げんこつ祭」。様々な人が演奏し歌った。なかにゲストで中川五郎、高田渡の出演があった。
たしか小金井公会堂で開催したときは、素人ながら愚生の娘も弾き語りで参加していた。
どうやら、2004~5年のことだったらしい。その末森英機はかつてフォークシンガーだった時代もあり、一緒に参加した彼の子息のギターテクニックは、素人目にみても抜きんでていたように思う。
その時、末森英機にはすでに幾冊かの詩集があり、新詩集が『天の猟犬』である。彼がアルコール依存症から脱却し洗礼を受けたのちのものだった。しかもすべてが四行の詩。
だから、ブログタオイトルに引用した詩は以下の三行を加えた四行詩だ。

  
野をわたる誰かなじみのない象(かたち)
生まれたばかりの哀しみのないまばたき 翳を宿した羽や種
たそがれが夜明けと交替するとき
あなたはなお多くのことが隠されている 

もう一人の解説者・南椌椌「蝶をあつめているか」には、以下のように記されている。

天凛ということばがあるが、英機にはたぶん天凛があるのだろう。
英機の詩は幼いながらも発光しながら疾走していた。
酔えば、本当のチンピラのように悪態をつき、気に入らない酔客を指しては「殴ってもいいか?」と何度も繰り返す。まるで手を焼かせる駄々っ子のような英機が、このように混じりけなしの詩心を抱え持っていることに驚かずにはいられなかった。

そして、「げんこつ祭」の成功のために奔走していた頃には、もちろん彼は一滴のアルコールも口にせず、好青年であり(やんちゃな感じは残っていたが)、愚生はそのほとばしるエネルギーに感服させられていたのだった。

あと一編を以下に・・・

海は与え 奪い去った 命を
気散じ 引き波に うつ伏せに漂っている
あの日 甘美な死 死んでいればよかった
名もないちりのように 裡(うち)なる無重力の底に 

愚生は、労働運動からすっかり足を洗ってしまったが、彼はその後どうしているのだろうか。





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