松林尚志第三句集『山法師』(ふらんす堂)、著者には、『古典と正統』から始まって多くの評論集があるが、それに比すると句集は少なく、今回が第三句集で、ある意味で待たれていた句集であろう。そのあたりを、「あとがき」に、
私は詩を読むことから俳句に入っており、無季を容認した瀧春一先生のもとで学び、また金子兜太さんの「海程」にも加わって歩んできた。また詩誌「方舟」を立ち上げ、詩集も出している。詩はどちらかといえば思いを述べる表現志向が強い。俳句はゲーム性を具えた連句から出発したように、季語や切字など約束事の中で芸を磨く面が強い。(中略)
しかし俳句も詩歌の一端を担うとすればやはり思いを陳べる表現志向も底流しているはずである。(中略)私の場合、これまでの長い歩みを通じて詩は細り、芸道的な面での俳句に浸ることが多くなってきているが、やはり、自己表現的な句や生活記録的なものが入り交じっていて前書のある句も多い。前書の句ではとりわけ追悼句の多さに時の流れを痛感する。
とある。さびしく哀しいことだが、追悼句はかなりの数にのぼっている。三、四を挙げておくと、
悼 鈴木石夫氏急逝
風峠越えれば彼岸山法師 尚志
村井和一氏を悼む
句友また戦友花を待たず逝けり
加藤郁乎氏逝去
雨季来り斧一振りに逝かれしや
金子兜太師逝去
青鮫の去りにし庭か梅白し
集名に因む句もいくつかあるが、その中から次の句を挙げておこう。
山法師心が急に軽くなる
晩年は素のままがよし山法師
ともあれ、集中よりいくつかの句を紹介しておきたい。
黄塵やユーフラテスに滴る血
夜間飛行機火星にめくばせしてさやか
癌告知
図らずも夜叉と向き合ふ終の坂
象の皺は地球の皺や秋時雨
冬虹の地を踏まへ立つ地の暗さ
昵懇の地蔵に野菊添へてけり
牛蛙胸で空気を食べてゐる
首井戸に八手は花をつけずあり
地は寒き灯をちりばめて天冥し
地球のどこか切れて血を噴く去年今年
今年また今年かぎりの賀状あり
☆また、松林尚志は、毎月、句会の冊子「こだま(木魂)」を出し続けている。末尾にある2,3ページほどだが、そのエッセイ「山茶庵消息」は年輪を刻んだ含蓄深いものばかりである。今回は、高山れおなの新著『切字と切れ』に触れてあるので、抜粋、紹介しておきたい。
(前略)れおな氏おいえば「豈」同人で、『荒東雑詩』や『俳諧曾我』など異色の句集で衆目え、兜太の後をうけて朝日俳壇の選者を勤めるまでになっている。そんなイメージがあるだけに、俳句の基礎的な技術論というべき切字、切れの問題にこれだけ踏み込んだ論を出したことに私は戸惑いを禁じ得なかった。(中略)
れおな氏の凄いところはここで改めて松下大三郎という国語学者の切字説の検討にまで及ぶ。外堀を埋める感じであるが新見はみられない。
私はれおな氏が朝日新聞の選者に選ばれたことを喜んだが、その選はもう一つ新鮮味がなくて物足りなかった。考えてみれば一日何千句の選事体たやすくなじめるものではない。しかも既成俳壇の大家に伍して選をするのであるから大変である。れおな氏は改めて俳句が長い歴史の上でつみ重ねてきたものが何であったかを徹底的に調べ上げ、現俳壇の一番ホットな問題に向き合おうとしたのではなかったか。
れおな氏は最後に「昭和、特にその前中期はやはり俳句の黄金時代であって、その遺産が簡単にのりこえられるものではないこともわかりきっていた。平成無風、ありていにいえば閉塞感は基本的には厳然たるこの事実に由来する。」と記し、「今や、平成三十年間がほったらかしてきた主題や主体の問題こそがあらためて議題にあがらなくてはなるまい。」と結ぶ。(中略)れおな氏のこの言葉にすっきりした。ともあれこの書は朝日俳壇の選者としての覚悟を示したものとして私は重く受けとめた。
とあった。松林尚志の慧眼だろう。
松林尚志(まつばやし・しょうし) 1930年長野県生まれ。
撮影・葛城綾呂 ホトトギス疾走す ↑
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