2022年2月21日月曜日

種田山頭火「凩の日の丸二つ二人も出してゐる」(「円錐」第92号より)・・


 「円錐」第92号(円錐の会)、今泉康弘「木枯(こがらし)の詩学」が読ませる。その冒頭「1 木枯の季節は冬か?」で始まる。


 木枯が冬の季語であることは、現代の俳人において当たり前のように思われている。だが、和歌の歴史を顧みると、それは決して当たり前のことではなかった。平安時代には「秋のものだ」とも考えられていたのである。

 例えば、木枯を秋のものだとする例として次のような歌がある。「古今和歌六帖」(編者未詳、九六七~九八七頃成立」の初秋の項の歌である。

木枯の秋の初風吹きぬるをなどか雲井に雁の声せぬ    (中略)

木枯の音にて秋は過ぎにしを今も梢に絶えず吹く風

 木枯の音がして秋は過ぎていった。だが、今、冬の初めになっても、梢には絶えず風が吹いているー。

 木枯は秋に吹き、木の葉を枯らせ、そして秋とともに風音をたてて過ぎ去ってゆく。そのあとで冬がやって来る。そういう順序をうたっている。(中略)

 なお、和歌では古くは「木枯の風」という語だった。(『歌ことば歌枕大辞典』にはこの語で立項されている)。木を枯らす風、ということである。それが省略されて、「木枯」という語だけで木を枯らす風を指すようになった。(中略)

 やがて平安時代の終わる頃、「木枯」の詠まれ方に変化が生じる。即ち「新古今以降中世には、晩秋から冬の詠がふえ、木の葉をはらうと詠むものが増加する」(前掲『歌ことば歌枕大辞典』、「木枯らしの風」の項』。(中略)

 その背景には『古今集』の美学から、中世的な美学への変容があるだろう。(中略)

 『古今集』は明晰な名月を好み、『新古今集』は朧月の美、即ち余情を好む。(中略)

 では、そもそも、なぜ『古今集』は「安定」「明晰」な美を描いたのだろうか?奥村恆哉は、前掲文の中でこのことについて答えている。それによると、まず、『古今集』の編纂は国家的大行事であった。そして、編纂者の紀貫之は、中国文化において詩の果たした役割を、日本において和歌が果たさなくてはならないという理念のもとに『古今集』を編纂した、とする。その理念ゆえに「貫之にとって価値があったのは、人間と自然の、あるべきありようだけである」。それはまた、「律令制社会、律令的秩序」の反映であるとする。つまり、自然と人間との理想的なあり方を「安定」した「明晰」な秩序意識のもとに構成したのである。(中略)

 一方、『新古今集』の場合はどうか。私見だが、ー『新古今集』の時代には、すでに権力は武士に移っていた。天皇を中心とする貴族社会に政治の実権はなかった。貴族たちは権力を失った。こうした貴族たちの詠む歌には、彼らの不安定な社会的立場が反映する。(中略)

 こうして、権力を失った『新古今』時代の貴族達は、無常感の中で、「明瞭」ならざる美、例えば、「朧月夜」を詠んだ余情の美を好んだ。(中略)

「木枯」は、そうした無常と余情の美学の中に組み込まれていったと思われる。それゆえ、かつて、「秋の初風」であった木枯は、新古今以降中世において晩秋・冬の本意を与えられていったのではないか。木枯は貴族社会の没落による美意識の変化により、初秋中秋よりも、いっそう寒さ厳しい晩秋・冬にこそふさわしいものとして観念されたと推測できよう。(中略)

そうして、中世の没落貴族社会の不安が「嵐」「氷」そして「木枯」の美学を作ったと考えられる。即ち、季語観は政治に左右される。季語の本意は人為により変化する。


 こうした、論述の最後の項は「3.『木枯」の句」で、俳・歌人が詠んだ句歌が鑑賞されている。ブログタイトルにした山頭火「凩の日の丸二つ二人も出してゐる」の句には、


 『草木塔』(一九四〇)所収。この句は「銃後」という章に含まれている。同章は日中戦争下の庶民の様子を山頭火なりに描いたものである。〈秋もいよいよふかうなる日のへんぽん〉〈勝たねばならない大地いつせいに芽吹かうとする〉などがあり、これらからすると、山頭火は取り立てて戦争に批判的だったとは感じられない。だが、「遺骨を迎へて」という前書のある〈いさましくもかなしくも白い函〉や、〈お骨声なく水のうへをゆく〉などを見ると、戦争の犠牲になった庶民の悲しみに共感している。同じ章の中に「ほまれの家」という前書きのある句、〈音は並んで日の丸はたたく〉がある。「ほまれの家」とは、戦時下、戦死した家族のいる家を指す。役場がその家に「誉れの家」と記した表札を送ったという。国家のために死んだ人間を権力はそのようにして顕彰した。だが、それは弔意ではない。戦意を高揚させるためである。(中略)

 掲句では、道すがら見た家が日の丸を二つ掲げていたという。つまり、一つの家から二人の戦死者を出しているのである。(中略)

 この時、「凩」は戦時下の暗い時代を生きることの厳しさを暗示している。


 長い引用紹介になったが、興味を持たれたら、直接本誌に当たられたい。ともあれ、本誌本号の特別作品から、一人一句を挙げておきたい。


   栞紐繰るも三日目新日記        後藤秀治

   立つ濤の下は小暗し敏雄の忌      澤 好摩

   一瞥もなくて別れて蛇穴に       大和まな

   ロシナンテ号は自転車ひつじ雲     摂氏華氏

   みずうみに水を見に行く春に死ぬ    来栖啓斗



撮影・中西ひろ美「まもなくね 『冬の 子 春』といふ短詩」↑

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