2022年2月2日水曜日

安井浩司「万物は去りゆけどまた青物屋」(安井浩司『自選句抄 友よ』)・・

 

  救仁郷由美子「安井浩司『自選句抄 友よ』の句を読む」(11)


     万物は去りゆけどまた青物屋      浩司


 戸外の寒さの中に一軒だけ灯を灯す店があり、その灯の温さに、昭和中頃のへのなつかしさをを感じる。絶対的さびしさの内に、ある一点の温もりが表われてくる一句である。

 「万物」天地すべてのものが移り変わり、去ってゆくけれど、「また」そのなかで、「青物屋」八百屋の店に万物の実り、果実や青菜が並ぶ。変わり続行ける自然の中の人間の営み。

 「万物は」の掲句は、所収された『四大にあらず』のテーマ、「自然と人(俳人)」を表わす。

 安井はアニミズムの俳人と思われているが、『四大にあらず』で、単なる自然賛美や崇拝を否定する。一切の物体を構成する地、水、火、風の四大元素(自然)である四大だけではなく、自然とともに俳句は、個人の心身と現象界の存在を構成する、色(しき)・受・想・行・識の五蘊(ひとの心身)からも成り立っていることをテーマとした。



    月光や漂う宇宙母あおむけに      浩司


 安井の造語「宇宙母」の句が実感であることを実感した経験がある。

 柔らかな色彩の山桜が咲く頃である。桜並木を歩く私の歩調に合わせるかのように、満月がゆっくりと動いていたが、それは漂うごとくであった。その満月は、「あおむけに」眠る「宇宙母」の顔となり、大きな満月の少し赤みをおびた光の様子が「宇宙母」の頬の色を示していた。大きな満月に母を感じたとき、真の母の姿が表われる。慈愛に満ちた母を全身で受けとめたとき、幻影は実感となる。母を創造し得た掲句に、作者のみならず、「宇宙母」の句を我がものとし得た読者の真の母をも創造した奇跡ををみる。



撮影・中西ひろ美「息切れて足はもつれて日暮れつつ七十歳はラストスパート」↑

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