2019年1月7日月曜日

須藤徹「黄泉の川引っさげて飛ぶ黒揚羽」(「ぶるうまりん」37号より)・・



 「ぶるうまりん」37号(編集発行人・山田千里)の特集は「川」。いつも思うことだが、須藤徹の想い出で埋め尽くされているようである(もちろん顕彰ということもあろう)。今号の特集も須藤徹の晩年の句に他出する「川(河)」について、具体的に句作品を挙げての論、松本光雄「川(河)との対話ー須藤徹最晩年の俳句(続)」が精緻だ。そこには、

 二〇一一年九月の悪性腫瘍発見から、同年十二月一日の摘出手術までの二ヶ月間に「川・河」の文字のある句が十二句ある傾向とともに、最晩年の日々に、「須藤の視線(思い)は、「川・天の川・山河・銀河」に還っていったと言えるかもしれない。(中略)
 須藤は社会生活において、自分の深刻な病状について一切語らず訴えず、完全な沈黙を最後まで貫き通し、俳句を書き続けることに徹した。つまり、書くことで日常の中の死を見つめ、書くことで生を存えていた。(中略)

 川のような棺を運ぶ藪蚊攻め(2010年9月)
 川のような棺を運ぶ青山河 (2013年5月)(中略)

「川のような棺を運ぶ」のは誰なのか。「青山河=風土」ともとれるが、「青山河」と「川」と「棺」を含む主体中の主体である「自然」が運んでいるとも読める。
 「よみ人知らず」としても「自然」が全存在者を運び、大いなる「無」に還したのか。

二〇一一年一月十七日の〈二階より上に行く声寒昴〉から、二〇一二年三月六日の〈鳥雲にすてぃーぶ・じょぶずののどぼとけ〉までのほぼ四ヵ月間、俳句の記載はない。
 須藤の俳句に対する姿勢や態度から、この間一句も書いていないとは考え難い。(中略)私には即断するする資料はないが、この間、須藤がどんな俳句を作ったのか、その未見のあるいは想像空間の作品を見たい気持はある。

 との述べられている。その他の執筆陣は、栗林浩、今泉康弘、伊東泉、山田千里など。前号の句評は小津夜景、柳本々々。それぞれに読みごたえはあったが、けっこう面白く読ませられたのは「ぶるうまりんライブ句会の醍醐⑭ 特選句と寸評」だった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

  若葉と白い犬             村木まゆみ
  曼陀羅のうしろの正面だあれ       東儀光江 
  難民の大河渦巻く国境          田中徳明
  八月を漂う白長須鯨           平佐和子
  エンゲージ・リングの指なくなる月を待つ 土江香子
  「好色五人女」月夜に通う渡し舟     山田千里
  こんりんざい割れないつもり石榴の実   牧野仁子
  鳥帰るもう帰れない東慶寺       三堀登美子
  真一文字の宇宙橙色の唇(くち)     茉 杏子
  よくしゃべるさくら黙っているさくら   普川 洋
  冬茜消えた山里案山子立つ        伊東 泉
  「レモン哀歌」ハンモックが立っている 及川木栄子
  「四つ葉はね、白詰草の横にあるよ」   池田紀子
  分身がだんだん増える芒原        齊藤 泉
  不揃いの脚にて帰る茄子の馬       生駒清治





★閑話休題・・コーラス鳩のうた・創立30周年コンサート「かなしみはあたらしい」(1月13日(日)、たましんRISURUホール)・・・


  偶然の出会い、あるいは世間は狭いということを実感するときがある。
愚生が府中市シルバー人材センター派遣で働いている「府中の森芸術劇場分館」(府中駅直通、ル・シーニュ地下2F)で、夜の勤務に入る最初の第一音練習室の点検で巡回しているとき、突然、声をかけて来た若い女性にふり向いた。
 誰あろう、宮本佳世乃。どうやら1月13日本番前のリハーサル?打ち合わせのようだった。お手伝い、だという福田若之の笑顔もそこにあった。いただいた案内チラシ(上掲写真)には、1月13日(日)午後1時半~ 於:たましんRISURUホール(立川市市民会館)、料金1000円(高校生以下無料)とあった。当日、愚生は先約があって残念ながら観に行けない。御用とお急ぎでない方はどうぞ!
    

0 件のコメント:

コメントを投稿