2019年1月6日日曜日
大木孝子「南凕に死す三千余兵花梯梧」(「刈安」NO.20)・・
「刈安」NO.20(刈安俳句会)は創刊10周年記念号である。大木孝子「創刊十周年に寄せて」に、
みちのくの染殿神社に伝わる、刈安媛の伝説から命名した薄い俳誌「刈安」だが、辛うじて生き延びてきた感がある。刈安草に縋る一粒の露のように一瞬の綺羅を詠み上げる尊さを、今なお信じて疑わない。
とあった。招待作品には、
みづうみは浩浩として白鳥来 柿本多映
美しき真闇となりぬ破芭蕉 永島靖子
地震を待つ野は石雑じり芒雑じり 遠山陽子
召されよと秋あつらへのひかる海 鳥居真里子
キッチュなり代官山の金魚玉 藤原龍一郎
他に、古山智子によるインタビュー「大木孝子氏に聞くー俳句が生まれる背景」が大木孝子の来し方を知るに役立っていよう。その中に、
私の句作りは現場主義というか、出たとこ勝負で、あまり推敲はしません。瞬間に閃いたものが多いの。ただ、普段、景や物事やモノを象徴的に観ていますね。見えてきちゃうというか。姦通や真みどりの蛭およぎゆく・我に来よ紅の氷の貢もて・ひつさげてゆく棒鱈と望郷と・あたりね。句がうまれるときは具象が誘発してくるんです。(中略)
自分の裡側の思いが噴き出すのね。誠に無責任。でも棒鱈の句は、故郷、生家を喪失した、哀しみの形象化かしらね。
と答えている。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。
いともつめたき山のすそみのあけびかな 大木孝子
薔薇盛るアブノーマルラブと名付けたり 関 央子
出島馬鈴薯(ジャガタラ)の花の漣はるかまで 小山美佐子
白夜なり一人の舟は黄泉(トゥオネラ)へ 小西あくあ
タリヤセンロイドの窓の青嵐 大塚康子
春愁やラナンキュラスの黄色買ふ 森 京子
反射材の一対煌と十七夜 荒井ひろみ
入人の耳に届くは昼の虫 田中由つこ
夕ごりとふかそけき菊の匂ひかな 小山智子
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