山田千里第二句集『ミルク飲み人形』(ぶるうまりん俳句会・ぶるうまりん叢書01)、跋文は今泉康弘「童話と情念ー山田千里の世界」、その後半部分に、
ーー童話性
バッタとあいのりどこへ行こうか
ふわあふわあ綿雲のようなわたくし
ゆるゆると鼻のびていく日向ぼこ
ーー情念性
アマリリス最後のキスはいつですか
全身びしょぬれ夕立に会いたかった
何のために生きているのか時雨
ただし、山田千里の世界について、「情念」という言葉を意外に思う人もいるかもしれない。彼女の句の世界は一見したところ、本人の人柄同様に、穏やかで暖かく、童話性の方の印象が強く感じられるからである。しかし、そうした外見の中には師・裕計の見抜いたように「情念」の世界が込められている。情念、とりわけ、女と男が魂と肉とで交わり合うところに生まれる情念である。彼女の文学的営みの根底には情念の追究がある。(中略)
『ミルク飲み人形』という本句集の題名も、童話のような印象を醸し出しつつ、その底には、大切な人への情念が込められている。
とあった。また、著者「あとがき」の中に、
第一句集『ぶ・ら・ん・こ』をだしてから、二十年たった。いろんなことがあったと思う。本当にいろんなことがあった。とりわけ、母の介護との格闘は、心と体をすり減らすものだった。介護といっても、母は入院していたので、四六時中介護をしていたわけではない。ただ、食べることを拒否している母に食事を取らせたいと、そのために、毎日、病院に通うことになったのだ。(中略)
三六五日、私に休みはなかった。何か用がある時だけ、家族や友人におねがいした。母が東京から沼津に来て七年、元気で過ごせたのは、一年だけだった。後の六年は、寝たきりで、口もきけない日々だった。そして、最後の五か月間は、ついに、何も食べなくなり、母は鼻から栄養を取る経管になってしまった。母は「ミルク飲み人形」になってしまったのだ。自然に任せればよかったと、今なら即答できる。しかし、あの時の私は、それができなかった。後悔の念を抱きつつ、今に至っている。
ともあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。
雪雲におおわれている心臓 千里
初日の出人さし指にはめたいわ
ドライアイスの煙 くちびるだけは紅
くたびれた五月光に母の椅子
「二十億光年の孤独」に隠れている満月
蛇穴を出る 死ぬことの好奇心
アスファルトに鉄の椿が落ちている
鳥の巣の家賃を払ってもらおうか
鉄棒が鉄棒にもどっていく夕立
枯れもせぬ散りもせぬ鉄の薔薇
あの子はほしいこの子はいらぬと黒日傘
山田千里(やまだ・ちさと)1951年、東京都生まれ。
撮影・鈴木純一「額の花まもるは強き心にて」↑
お早うございます。
返信削除先日は私の拙句集「耳寄せて」を取り上げて頂き有難うございました。 選句もして頂きとても嬉しく拝見しました。躊躇いながらの初句集でしたが、暖かい反応を皆さんから頂戴して感謝しております。 有難うございました。 半澤登喜惠
わざわざのお便り有難うございます。
削除暑中お見舞い申し上げます。