2022年7月20日水曜日

永田耕衣「かたつむりつるめば肉の食い入るや」(『永田耕衣の百句』)・・・

  


 仁平勝『永田耕衣の百句』(ふらんす堂)、その巻末の解説「『俳句的』なパラダイムを離れて」に、


 (前略)ところで、耕衣のは句が難解といわれたのは別の理由もある。いま独自な俳句論と書いたが、そもそもその理論が難しいのである。もっともそういう理論は、耕衣の俳句を読むためには必要ない。たとえば耕衣は禅に傾倒し、その思想についてしばしば語ってきたが、耕衣の愛読者は、俳句から禅の思想を享受しているわけではない。耕衣の句が読む者を魅了するのは、五七五の言葉がときにその意図を超えて飛躍するからだ。そこには定型の力学を感知する先天的な言語感覚があるのだが、それは理屈で論じることができない。(中略)

 耕衣は、俳句をすなわち俳諧と考えていた。芭蕉の確立した蕉風ではなく、それ以前の談林俳諧を指針としている。談林について書いた文章はいろいろあるが、「談林の志あれ」(『鬼貫のすすき』所収)から引用してみたい。(中略)

 これを私なりに敷衍すれば、滑稽とはみずからの「卑俗性」を対象化するということだ。ことさら「惜しくも詩的高邁さに至らず」と書くところが耕衣らしいが、ようは、「高邁さ」よりも「卑俗性」が大事なのである。そういう信念のもとに、「放屁」や「放尿」や「肛門」が一句のモチーフになってくる。(中略)

 擬人法は、耕衣の得意技である。一般的に俳人はこれを通俗な手法として嫌うが、耕衣によれば、擬人法には「人間感情の不易な卑俗性」が関わっている。人間と同じように笑ってみせる「鯰」も「元来孤独な人間性」を引き受けているわけだ。先に述べたことに重ねていえば、擬人法もまた、みずからの「卑俗性」を対象化する方法にほかならない。

 

 とある。本書は、右ページに耕衣の句、左ページに、仁平勝の句にまつわる鑑賞

・エッセイがレイアウトされている。その一例を一つ上げよう。


    少年や六十年後の春の如し    『蘭位』

 「晩年や」の後は「少年や」である。晩年の作者が「少年」の時代を回顧しているのではない。作者は「少年」にタイムスリップして、晩年を回顧しているのだ。奇妙な言い方になるが、この句はそう読むしかない

 人は老いて子供に還るという。けれども、老人の内に「少年」がいるなら、「少年」の内に老人がいるといった論法は成り立たない。これはいわば言葉の騙し絵として、読者は「少年」に「六十年後の春」を見ればいい。「少年」にとって「春」は、将来の希望が芽生える季節だが、それがどこかで恍惚の老境にすり替わっている。 


 とあった。ちなみに、永田耕衣は明治33年、兵庫県生まれ。平成9年、97歳で没した。ともあれ、以下には、耕衣の句のみなるが、いくつかを挙げておきたい。


  死近しとげらげら梅に笑ひけり    

  夢の世に葱を作りて寂しさよ

  恋猫の恋する猫で押し通す

  うつうつと最高を行く揚羽蝶  

  夏蜜柑いづこも遠く思はるる

  いづかたも水行く途中春の暮

  天心にして脇見せり春の雁

  近海に鯛睦み居る涅槃像

  後ろにも髪脱け落つる山河かな

  カットグラス布に包まれ木箱の中

  腸(はらわた)の先づ古び行く揚雲雀

  死螢に照らしをかける螢かな

  泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む

      コーヒ店永遠にあり秋の雨

  遺影妻春や雲公してくるよ

  大晩春泥ん泥泥どろ泥ん

  踏切のスベリヒユまで歩かれへん

  枯草の大孤独居士ここに居る


 仁平勝(にひら・まさる)1949年、東京都生まれ。



      撮影・鈴木純一「炎天に一つの影をつれまわす」↑

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