白石正人第二句集『泉番』(晧星社)、 跋は福島泰樹「よしや楼蘭遠くとも」、その中に、
蠅生る寂しきものに洗面器
艶本の耳のど小口冬の虹
欄干に雨食うてをり蝸牛
列島を麒麟の舌がねぶる梅雨
これらは、俳句でしか表現できない「象」の妙味、名人技と言おう。
二句目、結句の美しさ、「艶本」からだれが「冬の虹」を想像できよう。「耳/のど/小口」の連弾が「冬の虹」を引き出したのだ。四句目、「麒麟の舌」の句に、驚愕!このスケールを、字数にして十三字、音数にして十七音でやってのける。日本列島を麒麟の長い舌が舐めている像が、梅雨の気分とともに鮮やかに浮かびあがってくる。俳句芸術が生み出した勲功といおう。
とある。また、著者「あとがき」には、
(前略)句集名の『泉番』は、寺山修司全歌集にあった「森番」からメチエとしての泉の番人を夢想しタイトルとしました。(中略)
最近、俳句について、シンプルな眼差しでシンプルに詠むのがいちばん「かっこいい」と思うに至りました。そして死ぬまで「かっこよく」詠みたいと願っています。五年後、どうなっているかは神のみが知っていることですが、生きている限り第三句集を出すだろうと確信しています。
とあった。その寺山の短歌は、『われに五月を』の「ねむりてもわが内に棲む森番の少年と古きレコード一枚」であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。
ひんがしの五穀の国やどんどの火 正人
晩学は挫折を知らず松の芯
心太先を急かせる艶ばなし
諦めることの軽さや余り苗
八月やマウスのなぞる爆心地
ぶらんに飽きて隣のぶらんこに
とはにあれ朗々の空柿の空
行く秋やわが声にして父の声
大凧のあがらんとして空が邪魔
冥土へと一段倒す籐寝椅子
爽籟や歩いて行ける船着場
不時着の気球なないろ大花野
荒星や足りないものに野菜と詩
路線図の支線消えたる初桜
紙風船三つも突けばそれだけの
二代目吉右衛門丈逝く
山茶花の飛び六方に散りにけり
海鼠にも顔はありけり海の暮
白石正人(しらいし・まさと) 1951年、東京都生まれ。
撮影・中西ひろ美「白花のささやかなりし墓参り」↑
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