高山れおな「わたしの第一句集『ウルトラ』」(「NHK俳句」8月号)での冒頭と結びに、
三十歳で第一句集を出して数年後、『現代俳句一〇〇人二〇句』というアンソロジーに参加した。作句信条を求められたから、〈和歌に師匠なし、只(ただ)旧歌を以(もつ)て師と為(な)す〉という藤原定家の言葉を掲げておいた。別に格好をつけたわけではなく(いや、格好もつけているが)、事実そう思っていたし、今もそれは変わらない。つまり攝津幸彦は私の師ではないけれど、彼のグループである「豈(あに)」に加わったことは私にとってはやり決定的な選択だったようだ。(中略)
むしろ没後にこそ、攝津の句風の摂取に意識的になったように思う。また、攝津が五十にも足りずに早世したこと自体にも影響を受けた。人は死ぬのだと実感したのだ。私はとにかく急がねばならないと考えた。そして、それから一年と少しの間に大車輪で句を作り、ストックを倍以上に増やして第一句集を出したのである。
と記されている。自句自解が付されているので、それを3句ほどあげて、その余は句のみをいくつか挙げておきたい。
日の春をさすがいづこも野は厠(かわや)
本書から次の『荒東雑詩』にかけての方法的な柱の一つは本歌取り。掲句の
本歌は、其角の〈日の春をさすがに鶴の歩み哉〉。
祖父二人を曾祖父四人が殴る夏
本書は若気の至り句集という性格が強いが、これくらいナンセンスに突き抜け
ると、若気の至りなりに、今でも面白く読める。
蜂の巣になりたかつたの少女の頃
実体としての蜂の巣と、銃撃であなだらけになるという比喩の蜂の巣。
ダブルミーニングで季語を脱臼させることを狙っている。
為人(ひととなり)ほぼ鬼畜にて謡初(うたいぞめ)
雛壇を旅立つ雛もなくしづか
花散るや阿鼻叫喚の箸あまた
芹摘むや姫の悲鳴はそれとして
麦秋や江戸へ江戸へと象を曳き
どの蚊にも絶景見えて柱なす
駅前の蚯蚓(みみず)鳴くこと市史にあり
失恋や御飯の奥にいなびかり
陽の裏の光いづこへ浮寝鳥
恋文(ふみ)焼けど烏賊(いか)の水気もなかりけり
高山れおな(たかやま・れおな)1968年、茨城県日立市生まれ。
芽夢野うのき「鬼百合の峠で風に吹かれし母永遠に」↑
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