2022年5月3日火曜日

𠮷野裕之「Oというやさしき人の書物には冬のことばがあまた置かるる」(『𠮷野裕之歌集』)・・


  現代短歌文庫『𠮷野裕之歌集』(砂子屋書房)、既刊の歌集『ざわめく卵』(全編)、自撰歌集の抄出に『空間和音』『博物学者』『Yの森』『砂丘の魚』を収載。他に著者の歌論・エッセイ7編、解説に内藤明「風景の向うに」、喜多昭夫「ぼくの知らない約束がある」。山田富士郎「余白の生成ー歌集『ざわめく扉』」、加藤治郎「空気の音色ー歌集『空間和音』」、東郷雄二「𠮷野裕之または、縮小する世界で我に返る歌」、上村典子「やさしき音ー歌集『Yの森』」、阿波野巧也「風景と余白ー𠮷野裕之論」を収載。吉野裕之のエッセイの「ぼくの住む町」の中に、


   横浜市全図を広げぼくの住む町の大きさたしかめている

 古いノートを見てみると、一九八九年六月五日の日付があり、隣には「外つ国は〈血の日曜日〉六月のピアノは重き音を出しつつ」がおかれている(ともに『空間和音』〔砂子屋書房〕、一九九一年)所収)。昭和が平成に変わったこの年の四月、私は青春の八年間を過ごした福岡から横浜に戻ってきたのだった。(中略)

 「ぼくの住む町」。それが根岸であり、横浜でもある。前者は日常、後者は非日常。あるいは、前者は具体、後者は抽象。そんな言い方ができるかもしれない。そしてときにふたつは入れ替わる。

 あれから三十一年が経った(おお、三十一(・・・)年!)。二十代だった青年は、来年還暦だ。おそらく、これからもここが「ぼくの住む町」。そう思う。

   (「横浜歌人会議会報」第一二一号、二〇二〇年一二月)


 とあった。また、加藤治郎「空気の音色ー歌集『空間和音』」には、


 (前略)𠮷野裕之の良さというのは、おそらく自らの資質をうまく掴んでいるところから来ている。それはなかなか困難なことであるように思う。いや、自らの資質を世界のイメージから隔離されたところで温存することは、ある意味でたやすい。世界のイメージの波をかぶりながら、その資質に忠実であることが本当はしんどいことなのである。吉野裕之の作品は、現代の欲望のイメージや、(歌壇という範疇でみても)ライト・ヴァースのイメージをくぐり抜けてきた文体を提示している。


とある。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を挙げておきたい。


 夕べにて馬一頭が過ぎてゆく夢より覚めて組織を思う     裕之

 仰ぎつつ雨の迅さを見ていたりまちの形の議論を終えて

 鞄には花の名所の地図を入れ東京支社のビルを出でたり

 焼却炉まで運ぶのが約束でそれより先は七月の風

     Mather Lake

 湖が秋という名の空を抱きその風景がわれを引っ張る

 春の鞄の重たさをいう雨粒は集まりながら流されている

 銀杏黄葉銀杏黄葉とくり返す南京坂はゆるやかな坂

 山までのあわいに広がる銀の秋 ぎんのあきとはやさしきことば

 諍いを避ける技術を話しおり技術といえばそうかもしれぬ

 いもうとがシャワーを浴びているときの廊下に風は埃をはこぶ

 わたくしが働くビルをすっぽりと包める影はゴジラにあらず

 風景はわたくしである眠ければ眠ってしまうわたくしである

 ネクタイの太さを競う会議かもしれないと眠りゆくべし

 葉書とは小さな紙と思うかなそこに余白を置いてあなたは

   

𠮷野裕之(よしの・ひろゆき) 1961年、横浜・根岸生まれ。



   芽夢野うのき「いつもそこにいる白い躑躅に平伏して」↑

2022年5月2日月曜日

松野苑子「皆マスクして異界へと行く電車」(『遠き船』)・・

 

 松野苑子第3句集『遠き船』(角川書店)、その「あとがき」に、


 (前略)『真水』上梓の後、東日本大震災、俳句へ導いてくれた母の死、新型コロナウイルスの蔓延、乳癌の手術と続き、『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水のあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる試しなし」の言葉が身に沁みます。

 けれど、青く輝く星の地球、その中の水と緑と四季に恵まれた日本に生まれ、最短の豊かな詩である俳句に出会えた幸せと、出会えたことで、この世に生まれた喜びも意味も深くなったという思いは、変わることはありません。


 と記されている。集名に因む句は、


   春の日や歩きて遠き船を抜く      苑子


 であろう。ともあれ、愚性好みに偏するが、幾つかの句を以下に挙げておきたい。


   仔馬いま脚Xに立ち上がる

   海鳴りの寂しさ集め草氷柱

   コスモスの隙間の空気くすぐつたい

   蛇のあと水に模様のあらはるる

   耳鳴りの呪文の中を去年今年

   緑さす泡吹き虫は泡の中

   草笛に草の味してまだ鳴らず

   数えへるとすぐ散る雀原爆忌

     母(享年九十六)

   息せねば母は骸や夏の月

        満月の夜の体を洗ひけり

   一本の後ろ無数の曼珠沙華

   手に受けて形代のその薄さかな


 松野苑子(まつの・そのこ) 1947年、山口県生まれ。



     撮影・中西ひろ美「のらぼうが花を咲かせて隠元忌」↑

2022年5月1日日曜日

髙橋修宏「蝿生る彼方此方に国旗垂れ」(「575」9号)・・


「575」第9号(編集発行人:髙橋修宏)、表2(表紙裏)には、「私は進歩しない。旅をするのだ。」(フェルナンド・ペソア)の献辞がある。 エッセイに、打田峨者ん「だ。それは[二〇二一秋ー二〇二二浅春」、田中亜美「逆流の時代に」、堀田季何「共感覚体験と俳句の短さ」、上田玄「繁茂するもの 安井浩司『阿父學』をめぐって」、髙橋修宏「六林男・断章十五(2)他者としての〈女〉」、今泉康弘「蒼ざめた龍を見よー木村リュウジ試論(1)」、書評に髙橋修宏「その奥へと誘う想像力ー髙野公一著『芭蕉の天地』(朔出版)。 編集後記には、石原吉郎の言葉が引用され、以下のように結ばれている。


  いま、私自身に言えることがあるとすれば、人は書くことの時点で、すでに人は加害という危うい場に立たされているということだけである。

 (・・・)人が加害の場に立つとき、彼はつねに疎外と孤独により近い位置にある。そしてついに一人の加害者が、加害者の位置から進んで脱落する。そのとき、加害者と被害者という非人間的な対峙のなかから、はじめて一人の人間が生まれる。〈人間〉はつねに加害者のなからから生まれる。被害者のなかからは生まれない。

                   (石原吉郎「ペシミストの勇気について」より)

これまで何度となく立ち止まらされ、何度となく問いかけられてきた言葉だ。


 もうひとつ、今泉康弘の「蒼ざめた龍を見よー木村リュウジ試論(1)」の部分を紹介する。


 (前略)不安のあまり死にたくなるーそういう病を抱えていた。その一方で、俳句に関わっていく。そのとき、俳句が「ひかり」であるとか、救いであるとはリュウジは断言しない。断言しないのは、俳句を書いたり読んだりしていても、すぐには救われない現実があるからだ。だが、「ひかり」であり、救いであるという可能性を否定しない。「ひかり」かもしれないと自ら感じている。その「ひかり」を感じようとすることが、リュウジにとって俳句と関わることであったのだろう。(以下略)

 

 ともあれ、本誌より、一人一句を以下に挙げておきたい。


  八衢へ

  

  化外の衆の

  ささめごと              上田 玄


  あかあかと敗戦日あり風もあか     堀田季何

  完結の頁捲れず青葉騒         田中亜美

  片しぐれ紙飛行機を持て余す     増田まさみ

  氷解くことばを孵しつづけたり     三枝桂子

  重ねゆく咳に衰へ花八つ手       花尻万博

  大小の人の柱の鹹き夏         高橋修宏

  ゲームから戻つて来たのか戦争よ   打田峨者ん 

             〔2・24〕 



     撮影・鈴木純一「須磨帰り雨後の牡丹のけだるさは」↑

2022年4月29日金曜日

らふ亜沙弥「薄皮に包まれている春惜しむ」(第36回・メール×郵便切手「ことごと句会」)・・

 


  第36回メール×郵便切手「ことごと句会」(2022年4月16日付け)、雑詠3句+兼題1句「深」(出題・渡邊樹音)。以下に一人一句とそれぞれの寸評を挙げておこう。


   手品師の懐深く花の種          渡邊樹音

   ものの怪の押し合う春の闇深く      渡辺信子

   再雇用かくもありたし花筏        江良純雄

   父は筍母は蒟蒻一人っ子        らふ亜沙弥

   「深謝」とやメール「拝受」の春の宵   武藤 幹

   堅くあり短かき思い桜貝         照井三余

   襟元の一本の毛に春暑し         杦森松一

   受刑者と刑務官が並んで桜を見ている   金田一剛

   愛惜の髪ふれあいて咲くさくら      大井恒行


☆寸評

・「薄皮に・・」ー「薄皮に包まれている春・・」。ひよこも、餃子も春の賜。人の子だけは年中生まれる(剛)。最近の春の短さが重なる。あるようなないような春と、薄皮の頼りなさとの組み合わせに説得力がありそう(純雄)。

「手品師の・・」ー色とりどりの花の春の到来。手品師の技としか思えないほどの(信子)。さすがに種では花を出せないと思いますが、でも出てきそうな雰囲気です(松一)。

・「ものの怪の・・」ー春は明るさに満ちているが、いろんなものが蘇生する怪しげな季節でもある。春の闇が面白い(純雄)。

「再雇用・・」ー働く事がある喜びが伝わってくる、花筏が働くスペースをも想像される(三余)。

「父は筍・・」ー共に地下茎繫がりでの組み合わせ、想像を膨らませます(松一)。

「『深謝』とや・・」ーほどほどの良さが、春宵にある(恒行)。

「堅くあり・・」ー若き日の一瞬の鮮烈な思い出。一生ものですね(信子)。

・「襟元の・・」ー説明も解説も要らない!良く解る秀句!!特選とした(幹)。

「受刑者と・・」ー映画のワンシーンのような光景。こんなことが本当にあったらきっと減刑になるだろう(亜沙弥)。

・「愛惜の・・」ー何だろう何故なのだろうか、目にした瞬間に涙が出てきた(樹音) 


珍事がおこりました。金田一剛の全4句を選句したのはらふ亜沙弥さん。しかも一人だけ。佐々木朗希の完全試合のようですね(剛)。



★閑話休題・・(転載)☆★現代俳句協会の金曜教室へご参加ください★☆★

令和4年6月より、現代俳句協会本部にて新たに俳句教室が開催されます。

(対面方式の月曜、水曜、金曜とインターネットでの土曜の4教室)

現在、受講者の募集をしております。 

 ただいま、金曜教室の受講者を募集しております

講師は大井恒行氏、「豈」の編集顧問です。現代俳句協会の現代俳句評論賞の選考委員、また府中市生涯学習センター「俳句入門講座」講師などでご活躍です。

(ブログ「大井恒行の日日彼是」) 

 金曜教室は「教室」と言いながら型にはまらないのが特徴です。主に句会方式で行います。毎回講師よりお題が出されますので、とてもエキサイティング!参加者によって自由自在に変化する楽しい教室にご期待ください。

   現代俳句協会の会員でなくても、どなたでもご参加出来ます。

 

 ★金曜教室

 ★毎月第三金曜日 午後一時より四時まで(初回は6月17日から)

 ★投句2句。(お題あり)

 会場は現代俳句協会(地図はこちら

 東京都千代田区外神田6-5-4偕楽ビル(外神田)7

TEL 03-3839-8190 FAX 03-3839-8191

 会費(10回)1万円

 

●締切は令和4年5月10日(火)●

 協会は4月26日~5月8日まで休みですが郵便の他、メールやファックスでも受付けています。(メール:gendaihaiku@bc.wakwak.com

 

  詳細は現代俳句協会ホームページをご参照ください。


      芽夢野うのき「白髪を洗ふとき薔薇の花のこと」↑

2022年4月28日木曜日

清水哲男「さわやかに我なきあとの歩道かな」(「となりあふ」第6号)・・ 


 「となりあふ」第6号(となりあふ発行所)、清水哲男追悼号とある。句は招待俳人として、箭内忍選による清水哲男「緑のたきぎ あるいは古希の理路(2008年発表)」よりの22句。エッセイに今井聖「あれは違うよー清水哲男さんを悼む」、北大路翼「ふう、やれやれ」、府川雅明「愛の人」。まず、今井聖は、


(前略)哲男さん自身の生涯の歩みはまさしく「栄華の巷」を批評的に辛辣に見据えて「都の花に嘯けば月こそかかれ吉田山」の抒情を詩と俳句で詠われたように思う。


 とあり、また、北大路翼は、


 ビールを飲むのも抵抗だ。素面では、世の中の恥づかしさに耐へられなかつたのだらう。僕らが失敗したときも、すべて「ふう」の一言で飲み込んでくれた。その「ふう」のあたたかさ、やさしさ、重さ、哀しさ。僕にはお守りのやうな溜息だつた。

 終戦を敗戦と雑誌に表記したのも、清水さんの提案だつた。今のロシアを見たら溜息が止まらないんだらうなあ。


 とあった。愚生はと言えば、北大路翼も、箭内忍も退社した後に、そして、形だけは、偶然にも、清水哲男顧問職の後を継ぐことになった。が、愚生が文學の森入社の前日、吉祥寺のライオンに書肆山田・鈴木一民と一緒に呼び出され、入社に際してのアドバイスを、ビールを飲みながら受けたのだった。

 もっとも、清水哲男には、それ以前に、愚生の句集『風の銀漢』(書肆山田)の解説文をいただいていたし、FM東京の番組にも出していただいたことがある。思えば、清水哲男には、愚生と同じく、彼が少年時代を過ごした山口県の田舎の原風景があったように思う。ともあれ、以下に、同誌より、他のいくつかの句と、「んの衆」より、一人一句を挙げておきたい。


  鎌に寒星もう読むこともなきトロツキー    哲男

  ふくろうは飼われて闇を失いき

  どうせ死ぬわけかと凧を見ていたり

  ビールも俺も電球の影生きている

  物質に還る日なれば実南天

  被爆後の広島駅の闇に降りる


     清水哲男さん 悼

  Gジャンと煙草と黙とビアホール    箭内 忍

  梟鳴いて月蝕のま暗がり       神保千惠子

  裸婦像の坐りしベンチ猫の恋     鈴木わかば

  極月の警備本部のがらんどう     谷川理美子

  うぐひす徳利注ぐたびに啼き春立ちぬ  原 美鈴

  切手水色とりどりの花浮かせ     廣川坊太郎

  矢印の先病院と春の花舗       安田のぶ子

  門松とゴジラを立てて撮影所     山口ぶだう


清水哲男(しみず・しみず・てつお) 1938年~2022年3月7日、享年84。東京生まれ。


    撮影・芽夢野うのき「タンポポの絮の野原昨日飛んだ」↑

2022年4月27日水曜日

平敷武蕉「海に杭儒艮(ザン)の声降る銀河降る」(『島中の修羅』)・・


  平敷武蕉句集『島中の修羅』(コールサック社)、懇切な解説は鈴木光影「『 含みつつ否定する』沖縄文学としての俳句」。その中に、

 

(前略)野ざらし氏の俳句の流れをくんだ平敷氏の句は、季語の有無にとらわれず、また五七五のリズムからも自由である。それは、沖縄独自の言葉・ウチナーグチ(しまくとぅば)や本土とは異なる気候や自然物の言葉の使用に加え、沖縄戦の記憶や「構造的沖縄差別」に抗する内的衝動を抱いた、一つの必然的な沖縄俳句の姿であるとも思えてくる。俳句が人間にとって普遍的な文学であるならば、野ざらし氏や平敷氏の俳句によって日本本土的な歳時記俳句の常識が揺さぶられずにはいないはずである。(中略)

 平敷氏は、状況に絶望しながらも、それでも粘り強く思考し、文学による闘いを止めない。(中略)

 俳句が海外の多言語で作られるこれからの時代においても、本土とは異質の気候や風土を持つ沖縄は俳句にとって重要な土地である。そしてこの地から必然的に生れてきた「含みつつ否定する」平敷氏の俳句を、本土的な俳句観を絶対化せずに、いかに読むことができるか。「修羅」を抱えた島からの、現代の俳句読者たちへの問いかけでもあるだろう。


 と記されている。また、著者「あとがき」には、


  天荒俳句会に入会したのが一九八九年の十月頃なので、句作を始めてから三〇年余を継続したことになる。(中略)

 句会に所属していた頃は、月一回の定例句会があり、毎回、二〇句を提出、さらに定例句会以外にも、新年句会、観月句会、紀行句会などがあるが、それも不要不急の時以外は欠かさず出席したので、年間四〇〇句ほどは作句していたはずである。それを三〇年続ければ優に一万二〇〇〇句を越えることになる。(中略)「出来の悪い子ほどかわいい」というではないか。ただ、出来の悪さは結果であって、いい加減に向き合ったということではない。私なりに、現実と真摯に対峙し、言葉と格闘したのである。


 とあった。集名に因む句は、


    島中の修羅浴びて降る蟬しぐれ      武蕉


 であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


   月桃(サンニン)の葉裏めくれば亡父(ちち)の骸

   シーベルト嫌な言葉がなじんでゆく

   みちのくの瓦礫たどれば沖縄忌

   戦争を語らぬ父の手指がない

   凌辱のシャッター通りタスケテ―

   小満芒種(スーマンボース―)幻視の中の敗残兵

   滅びゆく国に抗い向日葵咲く

   人間の見えない村の雪だるま

   不夜城の闇に脈打つ「核発電」

   捩じ花空穿つほどの叛徒ではない

   洞窟のひとつひとつに兵の靴

   旱星(ひでりぼし)島は芯から枯れていく

   歌がみな抒情を拒む辺野古崎

   立ち入り禁止出入り自由の放射能 

      政府は高熱があっても、四日間は自宅で我慢せよとの方針を発表

   父逝った高熱続く四日目に

   土砂浴びた海にも銀河降りしきる


 平敷武蕉(へしき・ぶしょう) 1945年、うるま市(現具志川市)生まれ。



      撮影・中西ひろ美「行く春のうしろ姿にしか見えず」↑

2022年4月24日日曜日

安井浩司「廻りそむ原動天や山菫」(Ⅱ)(安井浩司『自選句抄 友よ』)・・

 

 救仁郷由美子「安井浩司『自選句抄 友よ』の句を読む」(14ー2)


        廻りそむ原動天や山菫       安井浩司


  (前略)自分が若い頃に夢みた文学の奇跡的示現、じっさいそう思ったことがあるので申しますが、俳句形式においてダンテの『神曲』に類するわが「神曲」をこそ成したかったのです。


 引用は『安井浩司選句集』(邑書林・2008年)に収録されている「インタビュー」の冒頭である。

 人にはいろいろ夢があるが、わが「神曲」を成したかったと安井は発言している。平成19年、『山毛欅林と創造』が刊行された直後のインタビューでの発言であり、まだ『句篇・全』六巻は途中である。

   わが神曲の思いあがり犬芥(いぬがらし)     浩司『汝と我』

 このインタビューの後、七年後に、わが「神曲」としての『句篇全』六巻、最終巻『宇宙開』が刊行される。

 そして、「ダンテの神曲に類する」安井の「神曲」は、掲句「廻りそむ」の世界観として表された。

 何故なら、句集『宇宙開』、第一句目「廻りそむ」の句だからである。

 掲句の「原動天」は馴染薄い言葉であるが、ダンテの「神曲に類するもの」から、導かれ ての『神曲』天国篇の「原動天」となる。

 ダンテ『神曲』「天国篇」(原基晶訳・講談社学術文庫)の解説によれば、十天からなる天国の第九天が「原動天」であり、最高の天である十天が〈至高天〉となる。この〈至高天〉をすべての中心とした「原動天」の不動の意志が、自らの場所とダンテなどがいる地上などの周囲の他の全天空を回転させていく。だから、全天空(第一天から第八天まで)の動きはあくまでも「原動天」を起点として動くということになる。

 掲句もまた、「廻りそむ」の「そむ(初む)が、ここから、長く続いていくときのすべてのはじまりの意味となる。

 少しダンテ的に『神曲』「天国篇」の「原動天」を言い直してみよう。

 『神曲』「天国篇」は神への愛と神から愛される地上を理想の世界とする。「愛」の叙事詩である。

 始原の〈神〉と被造物の組み合わせが宇宙の構造であることが示される「原動天」では、全宇宙のあり方、創造主の創造行為がダンテによって明らかにされる。


 ダンテは第二十四歌で詠う。

  我が思念が明らかになるよう助けたまえ。

 「俳句形式の私的絶対化(・・・・・・)の道(当為論)は、『私』にとって成立するのではないかと考える。つまり、この時点において、自らが即刻、俳句形式に対する創造主になることを命じて、だ」。


 上記引用は『海辺のアポリア』「定型の中でー覆したい独白ー」にあり、初出は、「俳句評論」昭和五十八年第199号にある。昭和五十八年は第八句集『乾坤』刊行、安井の四十七歳の年であったことを考えると、安井は俳句形式においての創造行為が掲句のうちで世界形成することを遥か以前から「かたり」かけている。

   廻りそむ原動天や山菫     浩司


*昨日、救仁郷由美子は、72歳の誕生日を迎えた。


           

撮影・鈴木純一「がんばれと言うしかなくてがんばれと言えばがんばると言って笑った」↑