平敷武蕉句集『島中の修羅』(コールサック社)、懇切な解説は鈴木光影「『 含みつつ否定する』沖縄文学としての俳句」。その中に、
(前略)野ざらし氏の俳句の流れをくんだ平敷氏の句は、季語の有無にとらわれず、また五七五のリズムからも自由である。それは、沖縄独自の言葉・ウチナーグチ(しまくとぅば)や本土とは異なる気候や自然物の言葉の使用に加え、沖縄戦の記憶や「構造的沖縄差別」に抗する内的衝動を抱いた、一つの必然的な沖縄俳句の姿であるとも思えてくる。俳句が人間にとって普遍的な文学であるならば、野ざらし氏や平敷氏の俳句によって日本本土的な歳時記俳句の常識が揺さぶられずにはいないはずである。(中略)
平敷氏は、状況に絶望しながらも、それでも粘り強く思考し、文学による闘いを止めない。(中略)
俳句が海外の多言語で作られるこれからの時代においても、本土とは異質の気候や風土を持つ沖縄は俳句にとって重要な土地である。そしてこの地から必然的に生れてきた「含みつつ否定する」平敷氏の俳句を、本土的な俳句観を絶対化せずに、いかに読むことができるか。「修羅」を抱えた島からの、現代の俳句読者たちへの問いかけでもあるだろう。
と記されている。また、著者「あとがき」には、
天荒俳句会に入会したのが一九八九年の十月頃なので、句作を始めてから三〇年余を継続したことになる。(中略)
句会に所属していた頃は、月一回の定例句会があり、毎回、二〇句を提出、さらに定例句会以外にも、新年句会、観月句会、紀行句会などがあるが、それも不要不急の時以外は欠かさず出席したので、年間四〇〇句ほどは作句していたはずである。それを三〇年続ければ優に一万二〇〇〇句を越えることになる。(中略)「出来の悪い子ほどかわいい」というではないか。ただ、出来の悪さは結果であって、いい加減に向き合ったということではない。私なりに、現実と真摯に対峙し、言葉と格闘したのである。
とあった。集名に因む句は、
島中の修羅浴びて降る蟬しぐれ 武蕉
であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。
月桃(サンニン)の葉裏めくれば亡父(ちち)の骸
シーベルト嫌な言葉がなじんでゆく
みちのくの瓦礫たどれば沖縄忌
戦争を語らぬ父の手指がない
凌辱のシャッター通りタスケテ―
小満芒種(スーマンボース―)幻視の中の敗残兵
滅びゆく国に抗い向日葵咲く
人間の見えない村の雪だるま
不夜城の闇に脈打つ「核発電」
捩じ花空穿つほどの叛徒ではない
洞窟のひとつひとつに兵の靴
旱星(ひでりぼし)島は芯から枯れていく
歌がみな抒情を拒む辺野古崎
立ち入り禁止出入り自由の放射能
政府は高熱があっても、四日間は自宅で我慢せよとの方針を発表
父逝った高熱続く四日目に
土砂浴びた海にも銀河降りしきる
平敷武蕉(へしき・ぶしょう) 1945年、うるま市(現具志川市)生まれ。
撮影・中西ひろ美「行く春のうしろ姿にしか見えず」↑
0 件のコメント:
コメントを投稿