「弦」第44号(弦楽社)、特集は『遠山陽子 俳句集成』と『三橋敏雄を読む』、執筆陣は、髙野公一「『遠山陽子 俳句集成』を読むー日が昇り馬が走る宙(そら)」、関悦史「遠山陽子的極薄」、川名大「まなざしの継承ー『三橋敏雄を読む』についてー」、鴇田智哉「岬、そして」、角谷昌子「石を積む」、その他に、「拝受書簡より」、「自筆年譜 補遺」。ここでは関悦史のことばを、以下に、いくつか拾っておこう。冒頭から結びまでには、
マルセル・デュシャンが晩年のメモに残した概念「アンフラマンス」は、「超薄」「極薄」と訳されることが多いが、実体をもつ物質の薄さをさすわけではないらしい。
デュシャン当人は、人がたったばかりの座席のぬくもりはアンフラマンスであるとの事例を挙げている。影を落とすにに近い一時的な通過の跡といえるだろうか。
著莪の花指のいたみは指でつつむ 『弦楽』
指の痛みは座席のぬくもりの例と違い、つつむ指によってもたらされたわけではないし、つつむ指が離れ直接の接触が解けたとしても、それによっていたみが軽くなることはない。つまりいたみはアンフラマンスとしてあらわれているわけではない。むしろ「著莪の花」がアンフラマンスなのだ。(中略)
遠山陽子(当時の俳号は飯名陽子)の第一句集『弦楽』の序文で藤田湘子は、その人と作品を「絹のような」と評した。印象による比喩にすぎないが、絹の触感や光沢がどこから直観されたのかを子細に見れば、このアンフラマンスとしての著莪の花となるだろう。
ふれあった物たちが残す影やぬくもりのようなものの諸相とその審美化が遠山陽子の句の内実をつくる。名伏しがたい心理の襞につぶさに分け入ることが句のモチーフを成している場合ですらも、「自己」の鈍重さをまぬがれているのはそのためである。(中略)
遠山陽子の句には死後の世界を幻視しようとする類の超越志向は見られない。深みを探るのではなく、水平にずれようとし続けているといってもよい。(中略)
もう誰の墓でもよくて散る桜 『高きに登る』
座席に直前まで座っていたのは誰であってもどうでもよいのと同じように墓の主もどうでもよく、誰であっても桜は散るという認識。時間のスケールを引きのばしてしまえば人の生死も墓も次第に薄くなってゆく。自分以外の死は畢竟そうなるものと考えることもできる。
ちなみにデュシャンには「死ぬのはいつも他人ばかり」なる名言があり、それが墓に刻まれているという。(中略)
どうしても花火が平面に見える 『弦響』
これも平面性の句。花火は球状に広がる。しかしどの方向からも平面の円形に見えてしまう。誰にも覚えのある内容の、諧謔味の勝った句であるし、そう読んで間違いではない。しかしここで重要なのは三次元が二次元に認識されてしまう次元の低減だろう。それはいわば極薄性の視覚化に近い事態なのだ。遠山の句はその狭間に匂いを放つ。
と記されている。分析の見事さというべきか。ともあれ、以下に、本号の遠山陽子作品「『輪舞曲(ろんど)』以後」、から、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。
軍艦島圧倒的な虫の闇 陽子
風なく月なく命を賭けしこともなく
見えぬ手に頭叩かれ三橋忌
外海の黒きを知らず冬鴎
冬麗の野や止めどなき牛の尿
晴男けふ晴ぼとけ冬紅葉
海よりも駅舎にはげし夜の吹雪
枝々に枝々の出て積る雪
最後の「付記」には、「本号制作中、不覚にも大腿骨骨折、救急車で入院手術となりました」とあった。ご自愛と、一日も早い本復を祈念する。5月28日が、詩歌文学館賞の授賞式で、「それまでに歩けるようになって、出席したいと思います」ともあった。
撮影・鈴木純一「タンポポや世界を敵にまはすとも」↑
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